OBR1 −変化− 元版


029  2011年10月01日19時


<黒木優子> 


 農機具倉庫は八畳ほどの広さで、奥行きを長く取っていた。
 土足で入る作りの為、床にはられた木板は泥で汚れてしまっている。
 既に日は落ちていたが、懐中電灯を点けなくては何も見えないというほどの暗さにまではまだ届いてはおらず、灯かりなしに倉庫内を見渡すことが出来た。

 まず目につくのは、左右の壁に沿って置かれている木製の棚で、角材と木板を組み合わせた単純な構造だった。左の棚がちょうど政信の背丈ほどの高さだ。
 右の棚はやや背が低く、左が三段作りであるに対し、こちらは二段しかなかった。
 左側の棚には、農薬が入っているらしい一斗缶に、ダンボール箱、器具の清掃に使うのだろうかプラチックボトル入りの洗剤など雑多な物が置かれ、棚のへりに、泥に汚れた作業衣が無造作にかけられていた。
 右側の棚には、2キロ入りの米袋ほどのサイズの袋が多数。
 化学肥料が入っているらしく、白地の袋に「肥料用尿素」という刻印とメーカー名が見えた。

 そして、入り口の対面の壁に無造作に立てかけられているのは、鍬や鎌などの農機具。
 よし、あれだ。
 優子は刃物の位置を確認した。自分が立っている入り口からは7.8メートルというところか。
 なんとかあれを使って三井田を殺さなきゃ……。
 さきほど政信に「諦めたよ」と言った優子だったが、もちろん諦めてなどいなかった。優子についで三井田政信が入ってくる。その手にはしっかりとショットガンが構えられていた。


 あーあ、なんてロマンのないシチュエーションなんだろ。
 薄暗い農機具倉庫の内部に足を進めながら、優子はそっとため息をついた。
 私にだって、夢があった。恋を夢見てた。「男の子とそういうことになること」を想像してもいた。まず、まずね、やっぱり初めては、ホテルだとかじゃなく、彼の部屋が似合う。
 アリガチに彼のご両親は旅行にでも行って貰って……。私はきちんとシャワーを浴びて。お気に入りの下着をつけて。せいぜい愛の言葉をかけてもらって。
 浮き上がるような気持ち、夢うつつのうちに「それ」は終わる。
 ……なのに。
 古びた農機具倉庫で。床は泥まみれで。私は昨日からお風呂にも入っていなくて。売女(ばいた)よろしく自分から男を誘って。命乞いとして身体を差し出して……。

 ゆっくりと農機具倉庫の中に足を踏み入る。木板の張られた床が軋んだ音を立てた。
 背後で扉の閉まる音。振り返ると、ちょうど政信が後ろ手で扉を閉めるところだった。手に持ったショットガンは、しっかりと優子の身体に向けられている。
 この至近距離だ。撃たれれば必ず身体に散弾が当たるだろうし、致命傷、即死となるに違いない。優子の額に滲む汗の量が増えた。

 優子の殺意に気がついているにも関わらず、政信は、ヒヒャハッ、特有の笑みをみせた。
 カギを閉め、「お邪魔虫がはいらないよーに、しなくちゃーね」軽口までを叩く。
「じゃ、脱いでもらいましょーか」
 政信の指示に従い、優子はブラを取った。自由の利く左腕で胸を隠す。
 すでにホックは外してあり乳房はあらわになってたのだが、「ブラを取る」という行為、初めて男の子に裸を見せるという行為に優子は恥じらいを感じた。
 あーあ、私、これから、「する」んだ。
 思う。
 生き残るために隙を見て相手を殺すために、男に抱かれるんだ。
 ひどく屈辱的な気分だった。

 せめてもの救いは、相手が三井田政信であることだろうか。
 今は白地のタオルを頭に巻いているのでよく見えないが、普段は耳にかかる天パぎみの髪。笑うと線のようになる人の良さそうな細い瞳。通った鼻筋。部活で鍛えられたスラリと背の高い体躯。
 特別ハンサムと言うわけではないが、まぁ、整った顔立ちをしている。
 どこまで「やる」かは分からないが(つまりどの時点で三井田を「やる」のか。殺すのか。ああ、同じ「やる」でも随分意味が違うのね)、初めての相手としてはまずまずの相手。
 女タラシなのが気に食わないのだが、あの下卑た笑い方も好きになれないのだが、どこか憎めない性格の政信なだけにそれはそれでいいのかも知れない。
 初めては、経験者とした方がスムーズに行く。いつも読んでいるティーンズ雑誌の体験コーナーにも、そんな記事が載っていた。
 じゃ、いいんじゃないの?
 身体を任せてもいいんじゃないの? ……プログラムの最中でなければ。


「言った通り、抵抗はしないから乱暴は止めてよ。私、勢いだけのセックスは嫌いよ」
 出来る限り経験者を装い、セリフを吐く。
 胸が痛んだ。
 おかしなものだ。優子は思う。
 ほんと、おかしな話。
 人を殺すことには何も感じないのに、クラスメイトを手にかけることには何も感じないのに、こんな場所こんなシチュエーションで初体験を済ませることに、生き残るために身体を使うことに、胸を痛めている。
 でも、だって。
 だって、私、普通だもの。嫌になるほど普通の女の子だもの。今は生き残るためにクラスメイトを殺して回っているけど、その実は普通だもの。
 ここで、優子の背筋に何か冷たいものが走った。
 普通? ほんとに、私、普通? 普通の女の子が、クラスメイトを殺したり……する?


「なーに、考えてるん?」
 ショットガンの銃口を向けたまま、政信が例の緊張感のない間延びした口調で訊いて来る。気だるい口調、ゆるい態度。日頃の政信のパーソナリティだ。
 でも、こんな時にまでのんびり構えていられるだなんて……。
「変なヤツだね、あんた」
 ためしに口に出してみる。
 伝染したのだろうか、優子の焦燥感が少しほぐれていた。
「なんで、そんなにゆるくいられるの?」
 これに政信は含み笑いを返した。白地のタオルが巻かれた政信の頭が軽く揺れる。
「死ぬ? そうかー、俺、死ぬかぁ」相変わらずのゆったりとした口調。「なーんかね、現実味なくない? ほんっとに、殺人ゲームなんて始まってるのかなーって思わん?」
 何を言い出すのかと思えば。
 優子はひきつった苦笑いを見せた。
 プログラムが開始してから、何度も銃声を聞いている。私は何人ものクラスメイトの死体を見た。いや、それより何より。
「あ、ゆーこサンは、現実味あるのかぁ。重原を殺したんだもんねー」
 そう、私、元不良の重原早苗を殺した。友達だった美智子を殺した。
「きっと俺、今ここでゆーこサンを殺しても現実味感じないだろーなぁ」

 突然の衝撃。唐突に政信のショットガンの銃口が火を吹き、右の棚に命中したのだ。
 ビリビリと農機具倉庫内の空気が震えると同時に破壊された棚が崩れ落ちた。それとともに肥料の袋にも相当のダメージがあったらしく、床に白い化学肥料がこぼれる。
「ひっ……」
 その反動からやや身体を仰け反らした政信が体制を整え、例の下卑た笑いを見せた。
「うっひゃー。ショットガンの威力ってやつぁ、すごいやねぇ」
 優子の額にどっと汗が流れる。
「うーん。これで撃ったら、ゆーこさん、ぐちゅぐちょのスプラッタだ」
「な……に?」
「俺さ、スプラッタって苦手なんだよねー。だからさ、こいつで、殺してやるよ」
 そう言って政信は片手でショットガンを構えると、優子の顔を見つめながら自身のポケットを探り、優子から奪ったワルサーPPK9ミリを取り出した。
「ね、こっちのが、まーだ、キレイな死体になると思わん? スプラッタになられるとさ、さぁすがに俺、現実味を感じちゃうかもしんない。それってヤダよね」
「な、に、言ってるの?」
 やるんじゃなかったの? ここで私とやるんじゃなかったの?
 背筋を舐め急ぐ恐怖。

 ここで初めて、優子の身体が震えだした。
 優子は思った。
 美智子が感じたのは、これだったのか。重原が感じたのはこれだったのか。
 足が震えて止まらない、腕が震えて止まらない、唇が、喉元が、眉間が、身体の全てがガクガクと震えていた。また同時に緊迫感が優子のこめかみを焼き、喉を焼いた。
 震えるのどに唾液を通す。
「俺さ、今のまんまのが楽だからさ。現実味を感じずに行く方が楽だからさ。ねっ、キレイな死体になってーな。ゆーこ、サ、ン」
 あらわになった胸元を左腕で隠しながら、優子は後じさった。
 あわせて政信が一歩踏み出す。
「初めて銃なんか使うけどさ、さーすがにこの至近距離なら、当たるよね」
「な、何言ってるの? ねっ、やる……んでしょ? ここで私と、やるんでしょ?」
 身体の震えが止まらなかった。
 演技でも何でもない。純粋に恐怖を感じた。身体が震えた。
「ああ、それ? やっぱ止めたわ」
「なっ」
「だーて優子さん、俺を殺す気でしょー。降参って言ってるけどさ、目がねーぜんぜんやる気なんだよね。戦う気まんまん」
「そんな……こと、ないわ」
 優子のごまかしに政信が満面の笑みだけを返す。
「でーも、そんなゆーこサン、結構かっきーね。いいよぉ。俺、そんな女、好きだなぁ。プログラムの最中じゃなかったらなー。ぜったい、お相手願うのになぁ。経験もご抱負みたいだし、ちょーと、惜しいんだけどさぁ」
 ……あたし、処女だよ!
「でもま、やっぱここで死んでよ。俺、もっと安全なベイビーちゃんを探してやることにするわ。死ぬことに現実味、感じないんだけどさ。だからって、やっぱわざわざ自分の命をかけてまでやるたぁねぇなって、思わない?」
 おそらく農機具倉庫に入るまでは、三井田は自分を抱く気だったに違いない。だけど、どこかのタイミングで冷静さを取り戻したのか、思い直されてしまったのだ。
 まずい。
 思った。
 まずい……。



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