OBR1 −変化− 元版


027  2011年10月01日19時


<黒木優子> 


 島の中央部、エリアとしてはFの6のあたりに位置する農家の敷地内。農機具倉庫と雑木林の間、湿った地面の上で、黒木優子は膝を付き息を乱していた。
 特にスポーツをしているわけでもない彼女にとって、先ほどの重原早苗との戦いは、なかなかにハードなものだった。
 早苗に撃たれた傷は肩口を掠めるに終わっていた。
 支給の簡易医療セットかた取り出した消毒液がしみ、彼女はそのソバカス顔をしかめた。華奢でも太ってもいない特徴の無い中背の体躯。艶の無い、赤茶けたふわふわの長い髪。
 どこか「赤毛のアン」を思わせる、彼女の容貌だ(大東亜共和国においては、相変わらず「鎖国政策」は続いているのだが、最近になって外国産の小説も流入するようになっていた)。

 いつの間にか日が沈み、あたりは薄暗くなってしまっている。
 優子は農機具倉庫を回り、母屋への進入路へと出た。そして制服の上着を脱ぎ、さらにカッターシャツを脱ぐ。下着姿になった優子は、尾田美智子から奪った裁ちばさみを使い、脱いだシャツの腕をざっと切り裂いた。その生地で右肩のあたりをきつく絞る。
 こんな処置で大丈夫だろうかと思ったが、効果があったようで、血の出はおさまった。
 が、応急処置としては、はなはだ心もとないことは確かだ。
 一応の治療はしたが、知識のない者の処置がどこまで有効か……。

 茂みの中から、重原早苗支給武器だったワルサーPPK9ミリを取り出す。戦利品、だ。ありがたく頂いておこう。  
 優子はもちろん銃を使ったことがない。
 銃撃音が出ることに迷ったが、どうせ先ほどの戦いで音は出ているしと思いなおし、何度か試し撃ちしてみる。思ったより反動は小さかった。しかし、5メートルほど離れた位置の枝木を狙ったのだが、何発撃ってもあたらなかった。
 説明書によると、小型の軽量銃で、非力な者にも扱えるもののはずだったが、特別訓練を受けていない一般人にはやはり荷が重いらしい。
 銃が手に入ったことにより、戦略を変えることが出来るかと思ったが、やはり今までどおりに動くしかなさそうだった。
 『標的に近付き、集めるだけ情報を集め、そして、騙まし討ちをし、殺す』今のところ、これが彼女の基本戦略だ。
 幸いといっていいか、優子はクラスでは中間派のごく普通の生徒だった。普通に近付けば、相手が混乱していない限り信用を得られる自信が優子にはあった。女子生徒であることもメリットだろう。男子女子問わず近寄りやすい。
 近付き、そして、殺す。
 近付くのは、離れた位置から銃を撃っても標的に当てることができないから。

 優子は、すでに計画していたこれからの動きを頭の中で復唱した。
 まず、どこかの家に身を隠し、傷の手当てをもっと丁寧にする。血に汚れた身体を拭い、服も着替える。それから、越智柚香らが隠れている北の集落へ向おう。



 ふっと、思う。
 ずっとずっと私は「普通」に生きてきた。普通に家族がいて、普通に友達がいて、今は好きな人はいないけど普通に恋もして。
 嫌いな子もいる。
 でも、友達、美智子やみどりのことは好きだった。
 美智子を殺すとき、私、「ずっと気に入らなかったのよね」なんてこと言ったけど、あれ、嘘。そりゃ多少は気に食わないところもあったけれど、やっぱり好きだった。
 これって普通だと思う。
 何の嫌いもなく、無条件で万人のことを好きな人なんていない。

 少し赤茶けたふわふわの長い髪は、ずっとコンプレックスだった。みどりのような艶のある髪に憧れていた。一重のはっきりしない瞳も、嫌いだった。美智子のようなぱっちりとした瞳にずっと嫉妬していた。
 だけど、そんなのはみんなが感じていることだ。
 美智子は、よく私の髪が羨ましいと言っていた。みどりのような艶のある髪も羨ましいけど、私のようなふわっとした髪にも憧れる。そんなことをよく言っていた。
 総じて可愛らしい外見をした彼女だったけど、髪質はあまりよくなくごわごわとした感じで、悩んでいた。
 友達関係も勉強も外見もみんなみんな特徴のない、普通の女の子。それが、私だ。これからもきっと、普通に進学して普通に結婚して普通に年を取っていくのだろうと思っていた。
 あーあ、つまんないな。そう思ったことは幾度もある。
 あーあ、嫌になるほど、私ってふつーだ。何かのきっかけで、変らないかな。私にも派手なことが起こらないかな。
 ずっとそう思っていた。

 しかし、プログラムに巻き込まれた今、優子はそんな生活に愛おしさを感じていた。

 プログラムに優勝した生徒は、どこか別の町に引っ越して、新たな生活を送るらしい。
 勝てば……、クラスメイトを殺せば、私、また普通に生きられる。多くてもあと二日。ぎゅっと目を瞑ってこの異常な時間をやりすごせば、いつも通りの、今までと変わりない毎日が待っているんだ。

 優子は死んだ美智子の顔を思い出し、頭の中で話しかけた。
 美智子。ごめんね、私、あんたのこと、そんなに嫌いじゃなかったのよ。「あんた、前から気に入らなかったのよね」ごめん、あれ、嘘。でも、なにも。私、あんたを撃ったとき、なにも、感じなかった。罪の意識なんて、感じなかった。
 変? 私、狂ってる?
 ……そんな、こと、ないわ。
 だって。
 だって、私、普通の女の子だもの。
 今は生き残るためにクラスメイトを殺して回っているけど、私、普通の女の子だもの。重原や羽村と違って、荒れてなんかもいない、普通の女の子。
 暖かい家族がいて、帰る家がある、普通の、嫌になるほど普通の、女の子。

 自らを普通と言う優子。しかし、少なくとも今の時点ではクラスメイトを殺すことに全くと言っていいほど禁忌を感じていなかった。
 傍ら、雑木林と農機具倉庫の間、湿った地面に横たわるのは、重原早苗の死体だ。早苗はだまし討ちをした優子に「あたし、あんたとは違う!」と、言った。
「違う?」
 優子は早苗の死体を、スニーカーを履いた足で軽く蹴飛ばした。
「違わないよ。あなたと私は、一緒。私の方が早くゲームに乗っただけ。誰だって死にたくなんて、ない。あなただって、じきに乗ってたはず。どうせ乗るのなら……今からでも一緒。……ね、そうでしょ?」
 私、あなたにとっての永井を、友達の美智子を、殺したわよ。

 どこか自虐的な笑みを優子は浮かべ、「サ、ヨ、ナ、ラ」ゆっくりとした足取りでその場を離れた。


 と、そのとき。
「そうだな」背後から声がしたかと思うと、ドンッ、一発、大きな銃声がし、彼女から3メートルほど離れた地面が弾けとんだ。同時に辺りの空気が震える。驚いて振り返ろうとすると、もう一発。
 今度はさらに近く、優子の足元の地面が弾けとぶ。威力のある銃らしく、弾けとんだ轢弾が優子の素足をかすめ、浅い傷を作った。
「そうだよな。この椅子取りゲームに乗らないのは、嘘だよな」
 男子生徒であることは声でわかったが、判別はつかなかった。
「銃を、その持ってる銃を足元に置けよ」
 しかたなく、言われるがまま、優子はワルサーPPK9ミリを地面に置いた。
 ドッと流れる冷や汗。不思議と身体に震えは起きなかったが、高い緊張感に彼女は包まれた。じりじりと焼け付くような緊張感に。
「よし、両手を頭の上にあげて振り返れ」
「右手は上がらないわ。怪我をしているの」
 本当は試せばあがりそうな気がしたが、少しでも身体の自由を確保しておきたかった。
「わかった。じゃ、あがる腕だけで、いい」
 背後で唾液をのどに落とし込む音がした。

「早くしろ!」
 ビクリと肩をあげた心臓を抑えつけながら、ゆっくりと振り返る。
 振り返った先、膝丈ほどの下生えの中に立っていたのは、一人の男子生徒だ。
 ひょろりとのっぽな体躯、今はその頭に巻いたタオルのおかげで隠れているが普段は耳にかかるテンパぎみの髪、すこし目じりが落ちる細い瞳を持った、バスケットボール部の三井田政信。
 銃を撃った反動からだろうか、政信はよろけた身体を立て直そうとしているところだった。
 そして、その手にはポンプ式のショットガンがあった。
 優子の心臓が、軽くジャンプする。

 ……心臓が跳ね上がったのは、恐怖にかられたわけではなかった。
 彼が散弾銃を持っていたからだった。
 先ほど銃撃の「練習」をしたが、狙い通りにあてることはできなかった。しかし、散弾銃ならば、広範囲に弾をばらまける。反動も強いのだろうが、腕が多少悪くてもカバーできるに違いないと思った。
 優子はこの絶体絶命の状況の中、戦意を喪失する事無く政信を睨みつけた。

 ショットガンのポンプを動かして空薬莢を排出し、次の弾を装填した政信が唇の端を歪め笑い顔を見せる。
「お前、重原をやったのか?」
 黙ってると、ヒヒャハッ、耳障りな音を立てて政信が含み笑いをした。
「やるねぇ。元ヤンの重原。手強かったろ? すげぇよ、お前」
 優子はあえて何も答えなかった。
 余計なことを考えている場合じゃない。何とか、三井田の隙を見つけ、あの銃を奪わなきゃ。三井田を殺さなきゃ。
 じりじりと、こめかみの辺りが焼けるような感触。
「お前、普通なのになぁ。尾田とか和田とか……、お前の仲間も普通なのに」
 政信は、いつも優子が一緒にいた、尾田美智子(優子が殺害)と和田みどり(死亡、原因不明)の名をあげた。
「やるよなぁ」
 どこか間延びした政信の物言い。
 なんだ、こいつ、やる気なのか、やる気じゃないのか、どっちだ?
 冷や汗がダラダラと優子の額を滑った。しかし、どういうわけか、身体に震えは出ない。
 チチチ……。どこか雑木林の奥のほうで鳥の鳴き声がした。夕陽の名残は既に無く、あたりは暗みを増しつつある。政信の頭上に見える空には、冷たい外気をまとった空には、星々が出つつあった。

 焼け付く緊迫感。

「ほんと、すげぇよ、お前」
 政信が腰を落とし、ショットガンをしっかりと構えなおす。
 森の奥で、鳥が飛び立つ音が聞こえた。
「でも、もう、終わりだな」
 ヒヒャハッ。政信が、再び下卑た笑い声をあげた。



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黒木優子
尾田美智子らを殺害。