OBR1 −変化− 元版


026  2011年10月01日19時


<野崎一也> 


 風に乗って広がる銃声。そのかすかな音は、一也らが隠れ潜む平屋にも届いていた。
 そっと立ち上がり、カーテンのすき間から注意深く外を覗く。
 広がるのは、嫌になるほどのどやかな田園風景だ。刈り取られた稲田の向こうには、北の山のすそ野が見え、くぬぎやぶなの木が茂った雑木林が見えた。
 そして、夕陽に照らされた風景は、呆れるほどに美しく見えた。
 カーテンに置いた手を戻し、室内を振り返る。
 電灯が点けられないのでやたらと薄暗い、6畳ほどの和室。部屋の中央に掘りごたつが置かれ、部屋の片面には古びたテレビ、逆面には小さな茶箪笥があった。
 そして、先ほどチームを組んだ中村靖史と木沢希美のカップルは、寄り添うように茶箪笥に背もたれて座っていた。
 靖史の手元にあるのは、ブローニング・ハイパワー。
 シングルアクションの自動拳銃で、全長200ミリ、重量0.91キロで、装弾数は9ミリ弾を13発というシロモノで、これが彼の支給武器だった。希美の支給武器はヘアドライヤーで、役に立つとは思えなかったため、捨てたらしい。

「また、誰かが、死んだのね」
 希美が震える声で話し掛けてくる。
 茶色地の制服の肩口あたりが細かく揺れているのは、死の恐怖に体が震えているからだろう。
 小柄で少しころっとした感じのふくよかな体躯に、肩までの髪を首筋のあたりで左右に別け結んだ髪型。また、眼鏡の奥の瞳には、大きな疲れが見て取れていた。
「そうだ、な」
 もといた位置、中村木沢カップルとテーブルの対面の位置になる壁に背もたれて座りながら、一也は答える。
 鳴り響いた銃声。
 誰が? 誰が襲われたのだろう。サメ? 啓太? ああ、どうか、無事でいてくれ……。
 一也は、日頃一緒にいた仲間たちの無事を祈った。


「寝てろよ」
 疲れた表情の希美に、彼氏の中村靖史が優しく声をかけた。大きな瞳に、やや丸いフォルムを帯びた顔。キュッとあがった眉にかかる前髪には、弱く茶色い色が入っている。
 希美は靖史の言葉に素直に従い、目を閉じた。
 昨晩のプログラム以来、ずっと屋外にいたという二人は疲労していたが、希美はとくにその度合いが高いようだった。
 今も茶箪笥に背をあずけ、力無い様子だ。

 とりあえず今回の追加禁止エリアから逃れることが出来たので、一也らは時間を分けて睡眠をとることにしていた。
 一人二時間ずつというのは、靖史の主張だった。
 一也は一人を見張りに立て残り二人が休む形を取ろうと考えたのだが、靖史に「もうすぐ夜になって視界が悪くなるし、二人で見張った方が安心だから」と退けられていた。
 慎重だな。
 提案を退けられたとき、一也は思ったものだ。
 おそらく視界云々は建前で、本音は「二人で眠ってしまったら、野崎に殺されるかも知れない」と言うところだろう。
 まぁ、無理も無い、俺は日頃そんなに愛想のいいタイプではなかった。
 そして、彼の、日頃教室で見せていたお茶らけた雰囲気とのギャップに正直なところ驚いていた。
 大事なものがあるから。大事な人がそばにいるから。
 木沢希美がそばにいるから、彼女を守らなくてはいけないから、きっと彼は慎重に慎重を期しているのだろう。
 それは、羨ましいことでもあった。

 ここで、ふっと思い立ったという様子の靖史が、「野崎は……、どうしてたんだ?」と訊いてきた。
 隠す理由もなかったので、和田みどりの入水自殺を見届けた話をし、安東和雄を見かけた話をした。
 話し終えてから、「中村らは? スタートしてからずっと一緒にいたのか?」と水を向ける。
 彼らの出順は離れていたはずだ。どうやって落ち合ったのか。
 この質問に、寝ていたとばかり思っていた希美が答えた。
「校庭の、正門の横に何か倉庫みたいなのがあったでしょ。その陰に隠れて中村くんを待ったの」
「……寝てろってば」
 靖史が優しい口調で言った。
「ありがと。でも、気持ち、高ぶっちゃって……。しばらくしたら、眠くなると思う」
「分かった」靖史がやはり優しく答え、希美の肩に手を置いた。
 ああ、いいな。
 一也は思った。二人は日頃からお似合いのカップルに見えていたが、今のこんな状況でも、いや、だからこそなのか、二人からは、互いを大切にしている雰囲気が強く感じられた。

 いいな。
 もう一度、思う。
 そして、「啓太は、俺が好きなあいつは、今、どこにいるのだろう?」と思った。「ああ、俺も木沢のように待てばよかった。啓太を待てばよかった」と後悔した。
 このプログラムに巻き込まれるまでも、もちろん本気で啓太のことが好きだった。でなければ、下手をすれば後ろ指を刺されるような状況になるやも知れないのに、カミングアウトなどしない。
 だけど、それ以上に、今まで以上に啓太を愛しく思う自分を一也は感じていた。

 これって、何て言うんだっけ? 「つり橋心理」? 不安定な状況にいると相手をさらに大事に思うってヤツ?
 ……まぁ、何でもいいや。
 とにかく、俺、啓太が好きだ。
 俺みたく「変」じゃない、普通の、普通の啓太には悪いけど、啓太にしてみれば気持ち悪くてたまらない事なのかもしれないけど……。俺、啓太が、好きだ。

 そして、急に、切実に、啓太に会いたくなった。
 啓太の顔を見ずに死にたくない、好きな人の顔を見ないまま死にたくない。
 そう、思った。



 やはり、疲労がたまっていたのか、やがて希美は眠りに落ち、スースーと規則正しい寝息を立て始めた。その希美に靖史がそうっと自分の上着をかけてやる。
「あーあ、お熱いこって」
 わざとおどけた調子で一也が言ってやると、「ははっ」上着を脱いだついでだろう、首元のネクタイを緩めながら靖史が軽く声を上げて笑った。
 ここで、一也は先ほどから思っていたことを口に出した。
「……すごいな、木沢」
「えっ?」
 これに、ちょっと驚いた顔で靖史が返してきた。
「や、あの状況で、よく中村のことを待てた、な、と思ってさ。俺もさ、分校から出たときは、他の仲間を待つつもりだったんだ。でも、やっぱり、怖くて……、分校の近くにいれなかった。けど、木沢は、中村のことを、待ったんだよなぁ。すごいよ、それって」
 そう、すごいよ。
 だって、俺には出来なかった。本気で啓太のことは好きだったけれど、自分の命を危険に犯すことは出来なかった。
 だけど、木沢は、自らの命をかけて、中村を待ったんだ。
 それは、俺には出来なかった、俺には持てなかった、勇気だ。
「愛ってヤツは、すごいねぇ」
 最後の一言は努めて軽い調子で話したのだが、靖史は笑わなかった。

「俺さ」
「何?」
「俺、実は、木沢のこと、そんなに好きじゃなかったんだ」
「はっ?」
 突然何を? と一也がキョトンとした顔をしていると、靖史が言葉を繋げた。
「三年になったときに、木沢に告白されて……。そのとき、俺、彼女がいなかったし、ちょうど、彼女が欲しかったし、軽い気持ちでOKしたんだ。正直、誰でも良かった。一緒にいて恥かしくない程度には可愛くて、彼氏彼女気分を味わえるのなら、誰でも良かったんだ」
 ぼんやりと宙を見つめながら話、靖史は希美の寝顔を見た。
 薄い眉を寄せ、少し苦悶しているようにも見える寝顔。
 そして、そんな希美を心配げに見つめる靖史の目には、明らかに希美を大切に思う感情が見えた。
 なのに、なんで……。
 疑問に思っている一也に答えるように靖史が続ける。
「だからかな、付き合って半年たっても、木沢に特別な感情を持てなかった」
 この言葉に一也が二の句を次げないでいると、靖史はクスッと笑みを浮かべた。いたずらっ子のような笑み。それは、教室でよく見かけた靖史特有の笑みだった。
「ひどいよな、俺ってば」
「いや……」
「このプログラムが始まったとき、このゲームが始まったとき、俺なんてすぐに死ぬんだと思ってた。きっと独りぼっちで誰も信用できなくて、逃げ惑って、結局は誰かに殺されるんだと思ってた」
 日頃の、教室での明るい靖史の振る舞いからは想像もつかないような悲観的な考えだが、まぁ、それは遠からず、一也も考えていたことだった。
 爆弾入り首輪。禁止エリア。支給される銃器。そして、たった一人生き残らなくては家に帰ることが出来ないルール。
 その全てが、一也にある種の絶望感を与えていた。

「俺、木沢待っていてくれるだなんて思ってもみなかったんだ。だって、そうだろ? 野崎も言った通り、危険すぎるもんな……。それに、俺、木沢に彼氏らしいことをした事が無かったもの。俺、ひどいヤツだったもの。だけど、だけど。木沢は待っていてくれたんだ」
 ここで靖史は、あご先を上に向け、天井を眺め見た。噛まれる下唇。ふるふると靖史の身体が震えた。
 何かを思いつめたような靖史の表情を一也は呆然と見ていた。
 やがて、靖史は語りかけるような口調で、「ちょっと、俺、感動した。俺みたいなヤツを、待っててくれたんだって、感動した。だから、俺、彼女を守ろうと思ったんだ。彼女のことを好きになろうと、思ったんだ」と、言った。


「それでさ、俺、彼女のことを、きっと、今、好きになっているんだ。こんなときになって、初めて、もう遅いかもしれないけど、初めて、彼女のことを好きになったんだ」
 それは、きっと違う。
 きっと、もとから、付き合った当初は、自身が言うように木沢のことを軽く見ていたのかもしれないけど、きっと、このプログラムに巻き込まれる前から、中村は木沢のことが好きだったんだ。
 この死に近い絶望的な状況に追い込まれて、もともと持っていた感情が強く出はじめただけなんだ。
 一也は思ったが、口には出さなかった。
 先ほど啓太のことを想ったときに一也が考えた、「つり橋心理」。まさに靖史はその状態にいるのだろう。
 そして、同じく、恋をしている、友人の矢田啓太に恋をしている、自分のことを思った。

 どうだい? 政府の役人ども。
 お前らは、このプログラムを通して、クラスメイトと殺しあうことの出来る、非情なキラーマシーンを作ろうとでも思ったのかい?
 だけど、どうだい?
 俺たちは、恋をしているぞ。
 気恥ずかしくて、口に出すことなんて出来ないけど、中村は言ってのけたけど、同性愛者の俺からしてみれば、口に出せることは羨ましいことだけど、だけど、だけど、俺たちは恋をしているぞ。
 ザマァミロ、だ。
 たしかに、殺し合いは始まってしまっている。
 だけど、誰も俺たちの心の底までは操ることはできないんだ。

 ザマァミロ、だ。


 しかし、気が揚がった一也に、靖史は絶望感に満ちた言葉を続けた。
「……俺、怖いよ」
「えっ?」
「いつか、木沢のことを殺してしまうんじゃないかと……、怖いよ。このまま行ったら、どうあがいても、俺たちは死ぬ。だって、そういうルールだもの」
 禁止エリア。爆弾入りの首輪。支給された銃器。
 殺し合いをしなければ、ただ一人生き残らなければ、家に帰ることが出来ない「プログラム」のルール。
「俺、ずっと正気でいられる自信がないよ。怖いよ……。いつか、俺、木沢を、好きな人を殺してしまうんじゃ、ないかって、怖いよ」
「そんな……」
「そんな、こと、あるよ。だって、死にたくないもの。俺、死ぬの、怖いもの」
 浮き上がっていた一也の感情が、いっきに押し潰される。
 そう、誰だって死ぬのは怖い。俺だって、怖い。
 いつか、俺も啓太やサメを殺すのか? 今はまだ正気を保っているけど、いよいよって時には、俺、仲間を殺してしまうのか?

 いつの間にか、日は落ち、あたりは闇に包まれつつあった。
 カーテンのすき間から、外の景色を見つめている靖史が、何か痛みに耐えるような表情をする。
 何に痛みを覚えているのか。
 なんとなくだが、一也にも分かった。

 夜が。夜が、恐怖に満ちた暗闇が、一也たちのもとに迫りつつあった。



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同性愛者である子を隠している。