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025
2011年10月01日18時 |
<重原早苗>
黒木優子は制服姿だった。数十メートルほど先のあぜ道を注意深く歩いており、そのバックにはすでに刈り入れの終わった稲田が見えた。
優子はまだ自分の存在には気づいていないらしい。
迷いに迷ったあげく、早苗は優子に声をかけた。それは、黒木優子のグループ、というよりは和田みどりのグループといった方がいいのかも知れないが、とにかく彼女達には概ね好印象を持っていたからだった。
和田みどりは、言いたいことをはっきり言うサバサバとした気持ちのいい気性だったし、尾田美智子は外見がいいわりに控えめで大人しい女の子だった。
そして、黒木優子。彼女も明るいごくプレーンな女の子だ。
黒木優子なら、信用してもいいだろう。
逆に、自分を信用してもらえるかどうかが不安だった。一時の自分が荒れていたのは有名な話だ。
農家への進入路を慎重に歩き、入り口の門柱のあたりまで来たところで声をかける。迷ったが、信用してもらうために、銃はポケットに入れた。
驚いたのだろう、黒木優子がびくりと肩を上げ、こちらを見る。
胸が鳴り、喉が乾いた。
ややあって、「重原さん……」ほっとした表情で黒木優子が息をついた。
ああ、彼女は、あたしを信用してくれたんだ!
早苗もまた、息をつく。とたん、身体の力が抜けた。力なく地面にひざをつく。ボロボロとこぼれる涙、涙、涙。そんな早苗を、駆け寄った黒木優子がやさしく抱きこんでくれた。
*
「安心して、もう大丈夫だから」
黒木優子のおだやかな声に、早苗は救われたような気持ちになった。
「ほんとに?」
「うん」
優子が静かに頷く。
「ああ……」
安奈の、あたしの道しるべの声だ。
そう思った。
かつて荒れていたときに、安奈が声をかけてきてくれた。おかげで、あたしは立ち直ることができた(悪いことは今も続けているが、気持ちの問題だ)。
今もそう。黒木優子の、安奈の声があたしを楽にしてくれる。
いささか、早苗は混乱していたのかもしれない。黒木優子と永井安奈の存在が混濁した状態で、彼女は聞かれるままに優子の質問に答えていた。
他に誰か会わなかったか。
誰か危険な生徒、ゲームに乗った生徒を知らないか。
その全てに早苗は答えた。北の集落の大きな家に越智柚香らが隠れていること。今からそこに行こうかと思っていたこと……。
「もう、ない?」
彼女の質問に、早苗は涙声で「ええ」と答えた。
答えてから、彼女の口調が変わっていたことに気がつく。
危険を察知し、身構えた瞬間、背に鋭い痛みを感じた。
「な……」
振り返ると、黒木優子が持つ裁ちばさみに赤い血がついていた。
かつて荒れた生活をしていたときに喧嘩ばかりしていたからだろうか、もともと運動神経や反射神経が良かったせいだろうか、早苗はとっさに行動することが出来た。
次の攻撃を横っ飛びに避ける。
チクショウ! このアマ、だまし討ちしやがった!
刺された驚きや痛みから、早苗はしっかりと自我を取り戻していた。
最近は「いい子ちゃん」を演じるためになりを潜めていた、つい先ほどまではプログラムに巻き込まれたショックから弱まってしまっていた、生来の気の強さが蘇った。
ポケットからワルサーPPKを取り出し、狙いを定める。軽い反動ともに激しい単撃音がし、優子の後ろの木の枝が弾け飛んだ。
次いでもう一発。
今度は彼女の肩口を掠め、短く切った悲鳴を誘った。
優子のひるみ。しかし彼女は即座に表情を戻し、裁ちばさみを一閃した。腕を切られ、銃を落としてしまう。落ちた銃は弾みがつき、遠くに行ってしった。
しまった!
一瞬の有利は泡と消え、丸腰と刃物という圧倒的に不利な立場になる。
優子を牽制しながら、早苗は迷った。
逃げるか? どうする、こんなとき、安奈ならどうする? あたしの道しるべなら、どうする?
……戦う。
そうだ、安奈なら、戦う。安奈なら、あたしの道しるべなら、こんなクソアマに背を向けたりしない! エジキになるわけがない!
戦う。そして、勝つ!
「ああああっ」
早苗は優子に掴みかかった。
裁ちばさみの刃が左腕を薄く切ったが、頓着せず、右足で優子の左内腿を蹴り上げる。ううとうめく彼女の体勢が崩れた。
好機とばかり、そのまま覆い被ろうとしたら、優子が反転した。
あっという間に立場が逆転し、優子に圧し掛かられる。
背から茂みに突っ込まされた。ばきばきと枝を折る。優子は、勢いそのままに、早苗の喉元めがけ裁ちばさみを振り下ろしてきた。
はさみの刃は開かれていた。
身体をよじり、開かれた刃の片方をとっさに握る。握れなかった刃が首の右横を掠め、刃を握った手は深い傷を負ったが、とりあえずは難を逃れることができた。
仰向けになった早苗の身体を跨いだ(またいだ)体勢で、優子は組み敷いてきていた。
開いた裁ちばさみを両手で握り、喉元にぐいぐいと押し付けてくる。
刃の片方は、早苗の右首筋を切りつけながら地面にめり込んでいく。もう片方の刃はかろうじて掴み取れたものの、喉元に当たっている。
両の刃で首を挟まれた状態になった。掴んだ刃は地面と平行で、ギロチンのようにも見える。押し付けられる刃に手の平を切られ、鮮血が滴り(したたり)落ちた。
「あに、すんだよっ!」
大声を出したら、刺された傷が痛み、思わず顔をしかめた。
そんな早苗に対し、黒木優子が口を開いた。「あなただって、やる気でしょ。同じよ、同じ」早苗はとっさに「違う!」言い返していた。
さらに優子が続ける。
「誰だって、死にたくないわ。し、げ、は、ら、さ、ん。あなただってそうでしょ?」
歌うような口調だった。
「違う!」
もう一度、叫ぶ。
そりゃ、あたし、一時期は荒れていた。だけど。だけど、あたし、あんたとは違う! あんたとは違う!
三度(みたび)、叫ぶ。「あたし、あんたとは違う!」
しかし、優子は意に介さず、そのまま体重を裁ちばさみにかけてきた。
ずるりと刃が動き、早苗の手のひらから指の付け根にかけて、深い切り傷がつく。支える力が緩み、迫る刃が早苗の喉元を切った。ぷつっと音がして、鮮血がほとばしる。
「あああ……」
赤い血が、早苗の視界を染めた。
正面むいて組み敷かれた体勢、早苗は至近距離で優子の顔を見ることになった。
夕陽に照らされて朱の入った顔。早苗の返り血を浴びた赤い顔。血と泥に汚れ、撃たれた傷に顔をしかめ、必死の形相だったのにもかかわらず、思いがけず艶やかで美しく見え、早苗は意外を感じた。
一瞬呆気に取られる。
そんなバカな。ブスとは言わないが、およそ十人並みの顔だったはずだ。そばかす、赤茶けた髪。目だって大きいわけじゃないし、鼻筋も通ってない。
なのに、なんで。
喉が焼けるように熱かった。
もう声も出ない。
遠のく。意識が遠のいていく。
消え行く意識の中で、早苗は永井安奈にかつて訊いたことを思い出していた。
あれは、今年の春先だった。三年に上がるクラス替えの結果、また同じクラスになれたことを喜び合ったあの日。早苗は、安奈に訊いた。
「ねぇ、なんであのとき、あたしに声をかけたの?」
昔のあたしは、教師や両親に反抗し、同じクラスの香川しのぶから金を巻き上げる、安奈の言う「ガキ」だった。かっこ悪い女だった。
なのに、どうして、そんなあたしに安奈は声をかけてきてくれたの?
あたしの道しるべは声をかけてきてくれたの?
あの、とき、あ、んな、は、どんな顔を……、してたっけ?
そうだ、少し困ったよう、な、顔をしていた。そ、して、こう言ったんだ。
「ほら、不良って、たいてい群れちゃうじゃない? それって、かっこ悪いわ。スマートじゃないわ。でも、あんた、一人でやってたじゃない? ちょっと、そう、ちょっと骨があるなって、かっこいいなって、思ったのよ」
あ、ん、な。あたし、がんばっ……、たよ。
にげ、ない……で、このクソ、アマと、戦った、よ。ねぇ、あた、し、かっこ、良かっ……、た?
あ、ん、な。あた、し、の、道しるべ……。
最期の意識、その中で早苗は、安奈が勝ってくれたら、このプログラムに優勝してくれたら、と思った。
<重原早苗死亡 残り22人/32人>
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重原早苗
香川しのぶをいじめていたことがある。
黒木優子
尾田美智子を殺害。
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