OBR1 −変化− 元版


024  2011年10月01日18時


<重原早苗> 


 政府役人で進行役の鬼塚のアナウンスがぶつっと唐突に切れ、重原早苗はふっと息をついた。
 どこか投げやりでぞんざいな口調。それでいて、からかうような茶化した物言い。
 その口調は早苗のよく知っている人物、友人の永井安奈(新出)のものによく似ていた。そのせいだろうか、放送を聞くたびに奇妙に気分が落ち着いた。
 早苗が潜むのは、Fの6エリアの中ほどに位置する、古びた農家だ。
 萱葺きの屋根に古びた木造、敷地の片隅には農機具倉庫や鶏小屋が併設されていた。
 竈(かまど)に囲炉裏(いろり)に土間。都会育ちの早苗には縁のないものばかりでかえって新鮮だった。

 ああ、やっぱり、殺し合いは始まっているんだ。
 早苗のふっくらとした頬に涙が流れる。肉付きのいい中背の身体と内巻きの髪が、ふるふると震えた。
 何かの冗談だと思いたかった。
 テレビのどっきり番組か何かだと思いたかった。
 あちこりから銃声がする。数時間前に北のほうで大きな爆発もあった。
 それぞれを早苗はしっかりと聞き取っていたが、「何かの間違い、何かの間違いなんだ」と自分に言い含め、心の平静を保った。

 そう、間違い。だから、じき、訂正の放送が流れる。あの、安奈にそっくりの口調で、いや、むしろ、安奈の声で。
 だがもちろん、いくら待ってもそんな放送は流れない。
 待っている間にも、そこここから銃声が聞こえる。
 頭を抱え込み、早苗はうめいた。
 抱え込んだ手は、何度も何度も冷たい水で洗ったせいか、アカギレを起こしたようになっている。
 死亡者のリストがあがるたびに、自分が殺したような気がして、自分の手が汚れているような気がして、洗わずにはおれなかったのだ。

 それは、彼女が人を傷つけてきたからだろう。
 小学校6年生のとき両親が離婚し、早苗は父方に引き取られた。
 離婚の原因は母の浮気。
 おっとりとして刺激のない父に母は我慢できなかったらしい。そのときは、派手好きな人だったから……と、母を許し、母に裏切られた父を不憫に思いもした。
 しかし、それから一年も経たないうちに父から「新しいお母さんだよ」と若い女を紹介され、なおかつ、父とその女が数年来の付き合いだった、つまり父も浮気をしていたことを知ったころから、早苗は荒れはじめた。
 教師にも父にも反抗的な態度をとり(とくに新しい母にはつらくあたった)、手を焼かせた。
 だがし、比較的短い期間で早苗は世間的に見れば「更生」した。

 あれは、二年生の秋、ちょうど一年程前のことだ。
 香川しのぶ(木田ミノルが殺害)から金を巻き上げているところを教師にみつかり、厳重注意を受け教室に戻った早苗は、永井安奈に声をかけられたのだ。
「ばっかね。悪いことってのは、見つからないようにやるから、かっこいいのよ」
 もちろん乱暴な口調で切り返したのだが、安奈は臆することなく「真面目になったフリをして、陰で親や先生を笑ってみな、気持ちいいから」と言ってきた。
 そのときは憤ったものだが、試しにやってみたら……。
 爽快だった。
 そのころ感じていたどんよりと渦を巻くような気持ちが、さっと晴れた。
 茶色く染めていた髪を元に戻し、崩して着ていた制服を普通にしただけで、……裏では売春だとかカツアゲをくり返していたにも関わらず、周りの大人の早苗を見る目が変った。
 教師が、父が、あの女が、「お前、落ち着いたなぁ」と言うその裏で、相手を鼻で笑う爽快感。
 それは、どんなに悪いことをしても感じることが出来ないものだった。

 永井安奈は表向きは普通の生徒だったが、その実、裏では色々と悪事に身を染めていた。だけど、見た目はあくまでも普通の女の子。
 そんな彼女の裏表は、早苗には特別なものに映った。
 安奈流の言い方をすれば、「かっこよく」映った。
 彼女が早苗の指針になるまでに、たいした時間はかからなかったように思う。
 安奈自身は、早苗が子分のようになることを快くは思っていなかったようで、普通の友達として接してきたが、時折、得意そうにこう言っていた。
「羽村京子みたいにつっぱるのは、ガキのすることよ」「陰でやる面白み、分かった?」



 あたし、どうして、待たなかったんだろう。
 夕陽に照らされた田園風景を農家の建物の中からぼんやりと眺め、早苗は思った。
 いや、理由は分かっている。
 怖かった。ただそれだけだ。
 早苗と安奈の出順は多少離れており、出てくるまで待てなかったのだ。
 しかし、もう一人の悪仲間である筒井まゆみとは、出順が近かった。まゆみとは、三年になってからの付き合いだ。
 彼女は、もともとは羽村京子と同じ不良グループの一員だったのだが、いつの間にかグループ離れ、安奈と親しくなっていた。
 正直なところ、始めは安奈とのコンビに割り込んできたまゆみの存在をうとましく思ったものだ。
 だが、まゆみのキャラクターはシンプルで、付き合っていて気疲れしない相手だったため、じきに彼女とも親しくなった。

 思えば、あのとき留まっていれば、まゆみや安奈と合流できることが出来た。
 誰かと一緒にいれば、落ち着いていられただろう。
 そう、誰かと一緒に。
 本当なら安奈やまゆみと合流したいが、そんな都合よく会えるわけがない。だから、他の誰かでもいい。誰か一緒にいても安全な人と合流したい、早苗は切実に願った。

 ……そうだ。あの子たちは、まだあの家にいるのだろうか。

 いま早苗が潜む農家はスタート地点となった分校のすぐそばにあったが、始めから早苗がこのあたりに身を潜めていたわけではなかった。
 恐怖に狩られ駆け出した足は北の集落に向う舗装されたコンクリ道を走った。
 そして、集落の中ほど(Dの3エリア)で足を止めたとき、早苗は声をかけられたのだ。
 声をかけてきたのは、月明かりでも真っ黒に日に焼けているのがわかる、活発な雰囲気の女の子、越智柚香だった。
 そのそばには、柚香と同じテニス部で髪の長い飯島エリと、喘息持ちで体が弱く学校をよく休んでいる吾川正子が立っていた。

 三人とも出席番号の若い生徒だ。
 尾田美智子を抜いて、女子1、2,4番。
 部活が同じ越智柚香と飯島エリは日頃から仲が良かった。彼女達はきっと落ち合ったのだ。吾川正子とは偶然一緒になったのだろう。
 そんなことを考えていると、柚香がおそるおそるといった口調で、「私たち、この家に隠れようと思うんだけど……、一緒にどう?」と訊いてきた。
 彼女達が立っていたのは、そのあたりの集落で一番大きな家のそばだった。
 コンクリ塀に囲まれた現代的な家で、裏手に別棟があるようだったが、早苗が立っていた位置からはよく見えなかった。

 今の早苗からすれば、喉から手が出るほど欲しい誘いだったが、そのときは断った。
 昔荒れていたころに香川しのぶを虐めたのだが、柚香らはしのぶと同じテニス部で仲がよかった。
 彼女たちに自分がこころよく思われているはずがない。
 そのときは、そう思ったのだ。

 安奈たちを待たなかった。過去のしがらみから、越智たちの誘いを断った。一人でいたから、怖くて怖くてたまらない。このまま一人でいたら、きっともっとひどいことになる。
 越智たちでもいい。とにかく、誰かと合流しなくちゃ。
 早苗は立ち上がり、ディパックに入っていた支給食料である乾パンの缶や水が入ったペットボトル、懐中電灯、地図やコンパス入りのパスケースなどを自前のスポーツバックに入れた。
 越智柚香たちがいる北の集落へ向うつもりだった。
 あの家があったエリア、あの集落全体は、まだ禁止エリアになっていない。
 先ほど鬼塚が放送した新たな禁止エリアにも、入っていなかった。動けば動くほど危険性が高まるこの状況で、彼女達があの家から動いているとは考えにくい。
 行けば合流できるだろう。

 スポーツバックを肩にかけ、支給武器のワルサーPPK9ミリを持ち、木の引き戸を開けたその瞬間。
 あぜ道を歩く黒木優子の姿が目に入った。



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バトル×2
重原早苗
香川しのぶをいじめていたことがある。