OBR1 −変化− 元版


022  2011年10月01日18時


<野崎一也> 


 姿勢を低くしたまま、強く唇を噛む。
 台所は、一也が身を潜めている和室とは引き戸一枚しか離れていなかったが、部屋を移れば、その気配を侵入者に察知されそうだった。

 侵入者は、味方となってくれる者だろうか、それともゲームに乗った者だろうか。もし、害意のあるクラスメートだったら戦うしかなかった。
 コンバット・マグナムのグリップを握りしめたまま、額の汗を拭う。
 銃撃戦になったら、相手が銃器を持っていたら……。
 俺はこの銃を使わなくてはいけない。
 一也は、ともすれば震えに支配されそうになる身体を必死で抑えながら、ため息をついた。
 出来ればクラスメイトを殺すような真似はしたくなかった。
 もし、肉弾戦になったとしたら、気絶させるなりして逃げ出せばいい。しかし、銃撃戦になった場合、そう甘いことも言ってられないだろう。
 銃を撃った経験はもちろん無い。急所を外し、なおかつ相手の戦意を喪失させる場所を撃つ、なんて芸当は、一也の身に余ることだった。
 また、この銃は鬼塚謹製の説明書によると、他の銃に比べて反動が強く、扱いが難しいらしい。
 だとすれば、なおさら、「間違って」相手の急所に当ててしまうかもしれない。
 そんなのは、ごめんだ。

「一也ってさ、斜に構えてるけど結局甘いんだよな」一也は、サメ、鮫島学に、そう言ってからかわれたことを思い出した。
 そのとき、周囲にはいつもの面子、幼なじみの生谷高志や矢田啓太がいて、一緒になってからかってきたような気がする。
「そうそう。皮肉屋を気取っているけど、なんだかんだで人がいいしね」
「口が悪いだけなんだよ」
 たしかに、そうかもしれない。
 この状況でなお「出来れば殺したくない」なんてことを思っているのだから。
 
 ……でも、それって当たり前のことだろ?
 ヒトヲコロスナカレ。当然すぎて笑いたくなるな。
 一也はその細面に得意の皮肉っぽい笑みを乗せた。
 そして、何よりも政府)の思惑通りの行動をすることが腹立たしかった。


「気をつけて……」
 隣の部屋、台所の方で、スッとサッシ窓が開く音がした後、押し殺したような声がした。
 一也の肩がビクリと上がる。
 男子だ。聞き覚えもある。
 誰だ?  誰の声だ?
 必死で思い出そうとしていると、ジャリッという音が聞こえた。割ったガラスを踏みつけたのだろう。
「静かに!」
 先ほどの男子の押し殺した鋭い声。
「ご、ごめんなさい」
 これも押し殺した、今度は女の子の声がした。こちらの声には聞き覚えがなかった。一也は、あまり女子と積極的に話す方ではない。
 クラスでも親しく話すのは、その入水自殺を見届けた和田みどりのグループや女子空手部の津山都(生存)ぐらいだった。

 一也の額ににじむ汗の量が増えた。
 複数人相手の戦いとなれば、単独である一也が不利であることは言うまでもない。
 どうなんだ? ゲームに乗ったヤツらなのか? 乗っていないヤツらなのか?
 複数であることや女子が混じっていることを考えれば、後者である割合が高いような気がしたが、油断は出来ない。油断は、即、死に繋がる。
 こんな場所で死ぬことだけはごめんだった。
 自分たちをこんな目に合わしている政府には一矢報いたい。そのためにも死ぬわけにはいかないんだ。
 一也は、身をかがめ、台所に銃を向けた。
 相手がゲームに乗っていない生徒だった場合、余計な警戒心を抱かせることになるが、危険な可能性がある今、悠長に構えてもいられなかった。

 どきどきと胸が鳴った。心臓のポンプがいつもの倍は働いている。
 侵入者が姿を見せた時、危険な相手かどうか瞬時に判断して行動しなければいけない。
 ……いっそ、誰でもいいから撃ってしまおうか。
 そんなことを考えた一也は、ぶんぶんと頭(かぶり)を振った。
 冗談じゃない。それこそ、政府の思う壺だ。誰が、奴らの思惑に乗ってやるものか。
 一也はそう強く思い、下唇をぎゅっと噛んだ。


 ガタガタと音がして、台所と居間の間にある木の引き戸が開いた。向こうも警戒しているのだろう。たっぷり十秒ほどしてから、一人の男子生徒が姿を見せた。
 一也よりもすこし背の低い中背。丸顔に気の強そうなきゅっと上がった眉。それは、写真部の中村靖史だった。
 靖史はすぐに一也の存在に気づいた。
 もともと大きな瞳をさらに大きく見開き、ぎょっとした表情を見せる。そして、あわてて引き戸の向こうに身を隠した。
「だ、誰かいるの?」
 不安そうな女の子の声が聞こえた。その声は震えていた。
 そうか。
 一也は得心した。女子が誰であるか見当がついたのだ。
「俺だ。野崎一也だ。そっちは、中村と……、木沢だな」

 木沢希美。吹奏楽部でクラリネットか何かを吹いているはずだった。父親が名の通った音楽家で、政府楽団関西支部の指揮者を務めているらしい。
 靖史と希美は、クラス公認(変な言葉だが)のカップルだ。
 どうにか落ち合って一緒に行動していたのだろう。
 一也はほっと息をついた。
 靖史も希美も、クラスでは中間派のごく普通の生徒だ。二人がプログラムに乗っているとは考えにくかった。

「野崎だ」
 一也はもう一度自分の名をくり返すと、「俺は、プログラムには乗っていない。信用して欲しい」と続けた。
 しかし、向こうは黙ったままだった。
「この家にいるのは俺一人だ。そっちは何人いるんだ?」
 自分の声が震えているのが分かった。心臓の鐘音が天井知らずに高まっていく。
「じゅ、銃を、ゆ、床に置いて欲しい」
 引き戸の向こうから中村靖史のどもり声がした。

 一也の質問には答えていない。
 手の内は出来るだけ明かさないようにしたいのだろう。
「……分かった」
 迷ったが、一也は掘りごたつのテーブルの上に銃を置いた。床ではなくテーブルの上に置いたのは、もし、あちらが危害を加えようとしてきたらすぐに銃を取って反撃できるようにしたかったからだ。
「置いたよ」
 一也の言葉を合図に、靖史がそろりと姿を見せる。その制服の裾は泥に汚れ、上着の袖口に枯れ葉が付いていた。
 そして、右手にあるのは、小型の拳銃だ。
 ドクンッ、一也は自分の心臓が跳ね上がる音を聞いた。
 向こうも銃を持っている。一瞬、自分も銃を取ろうかと考えたが、思い直し、靖史の顔を見つめた。
 俺はお前を信用したい。無言のメッセージを靖史に向けた。
 その靖史は台所に目をやると、「そのままで」と希美を制した。靖史ひとりで一也と対決するつもりなのだ。

 大丈夫。
 一也はほっとついた。
 中村はまだまともな精神を保っているに違いない。と思った。
 慎重に恋人の木沢希美を守ろうとしている、そんな気配が靖史の行動の端々に見て取れた。
 日頃一緒にいた生谷高志や鮫島学、矢田啓太ほどではないが、クラスメイトの中では靖史は親しくしていた方だ。チームを組む相手の最低条件である、「当座信用できる相手であること」は靖史や希美なら充分にクリアしていた。
 問題は、害意がないことをどうやって向こうに理解してもらうかだが……。

 そんなことを考えているうちに、一也は無意識に手を挙げると「や、やぁ」と言っていた。自分の間の抜けた無意識の行動に、「やぁ」じゃ、ない、「やぁ」じゃ。頭の中でもう一人の一也が突っ込んでくる。
 しかし、一瞬きょとんとした後、靖史も空いた左手を上げ、一也に負けず劣らずの間抜けた声で「や、やぁ」と返してきた。
 少しの間をあけて、二人はぷっと吹きだした。
 靖史はひきつった笑みを見せたまま台所に目をやり、「木沢、大丈夫だ。野崎は乗っていないようだよ」と言った。
 馬鹿馬鹿しい、この緊迫した事態になんてのん気な。
 でも、訳のわからないうちに靖史の信頼を得れたようだ。
 一也は苦笑しながらそう思った。



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