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020
2011年10月01日18時 |
<安東和雄>
ロビーの大窓の脇で見張りをしていた矢田啓太がふっと思いついた様子で、「ねぇ、やっぱり二階で見張りした方がよくない?」問いかけてきた。
「いや」
軽く首を振り、否定する。
「いざという時に、逃げ出せない。相手が侵入してくるとしたら一階からだから、一階にいたほうが感知しやすいし」
続けると、「それもそうか」と啓太が頷いた。
「ごめんね、変なこと言って」
「いや、一人だけで考えてるとどんどん煮詰まっちゃうから、思いついたことは言ってくれ。助かるよ」
「分かった」
少し嬉しそうに啓太が笑う。
……嫌になるくらい素直な奴だな。
唇の端を歪め、皮肉めいた笑みを浮かべる。
和雄自身も、啓太と同じく、二階から見張った方が視界が開けていいと判断しているのだが、和雄にはそうできない理由があった。
実は、二階の和室の押入れの中に、筒井まゆみ(新出)の身体を隠してあるのだ。だから、啓太には極力、二階には上がってほしくなかった。
今日の正午放送を聞いたあと、果樹園に添ったあぜ道を北にのぼっていたら、この観光協会の建物が見えた。
昨日からの疲労を感じ始めていた頃だったので、誰もいないようだったら、どこかカギのかかる部屋で休もうと思い、中に侵入した。
正面のカギは開いてなかったが、裏口の扉が開いていた。
このとき、和雄は「無用心だな」と思っただけだった。
いつもの和雄なら、ここで警戒心を持ったはずなのだが、肉体的にも精神的にも疲れが溜まっており、注意力が散漫になっていた。
一応各部屋を確かめたのだが、それぞれ人がいた気配はなく、次第に油断を強めてしまった。
そして、最後の部屋となった和室の押入れを勢いよく開けたら、そこに、身を低くしダイバーズナイフを握りしめた筒井まゆみの姿があったのだ。
短い罵り声とともに飛び出そうとするまゆみをマシンガンで撃つことができたのは、偶然が和雄の味方をしてくれたおかげだった。
あの時、突然のまゆみの登場に驚いてハッと息を呑んだ和雄は、既に何度か体験した銃撃の反動を感じた。
同時に、聞きなれた連続音。
まゆみの華奢な身体が、押し入れの中に押し戻された。
飛び上がった和雄の心臓が元に戻るまで、時間を要した。
まゆみの存在、飛び出そうとするまゆみの動きに驚き、思わずマシンガンの引き金を引いただけだったのだ。偶然が味方しなかったら、この戦いの敗者は和雄だったのかも知れない。
それから小一時間ほど、和雄は和室でどきどきと胸を鳴らしてたのだが、やがて窓の外に北の山の方向からあぜ道を下りてくる男子生徒の姿が見えた。
その時は、男子生徒の姿が小さすぎてまだ誰であるか分からなかった。
しかし、和雄はある程度の見当をつけることが出来た。
その男子生徒が、ひょろっと背の高い特徴のある体躯をしていたからだ。その時点の生き残りで、あの特徴を持っていたのはバスケットボール部の矢田啓太と三井田政信(出発のバスで登場)だけだった。
まゆみに引き続いて、この男子生徒の存在は和雄の心を惑わせた。
こいつも撃ち殺すか? ここで見逃したら、後で後悔するハメになるかも知れない。
だけど。だけど、オレは疲れている。上手くやれるだろうか。
和雄の頭に不安がよぎった。
だが、和雄は気がついてもいた。
プログラムでは、制限時間まぎわまでは複数人でいた方が有利だった。休む時には、見張りが必要。複数で戦った方が、有利。挙げればキリが無い。
だが、無条件で背中を預けることができるような存在は和雄にはいなかった。日頃、クラスメイトと親しくしていなかったことが悔やまれた。
ここで、和雄は大きく頭(かぶり)を振ったものだ。
背中を預けてどうする? いつかはそいつとも殺しあわなければならないのに。
もし、仲間に招きいれたとして、そいつが筒井まゆみの死体に気がつかない保証はない。そう、それに、先ほど鳴らしたマシンガンの銃撃音をあの男子は聞いているんじゃないか?
和雄は、彼女の傷ついた身体を見下ろした。
そして、気づいた。
至近距離で撃ったため弾がばらまかれず、押し入れの引き戸そのものには銃弾の跡がなかった。多少、畳に血が飛び散っているが、拭き取れない量ではない。
どうにかなるんじゃないか? いや、しかし……。
逡巡、迷い、困惑。様々な感情が、和雄の胸の中に渦巻いた。
結局、和雄がその男子生徒とコンビを組むことを決めたのは、相手が矢田啓太だったからだ。男子生徒が三井田政信だったら、撃ち殺すつもりだった。
その線引きに特に大きな理由はない。
日頃、三井田の方がはしっこそうに見えていた。
ただそれだけの理由だった。
啓太が尾田美智子を助けに行こうとしたときは度肝を抜かれたが、それは彼が本当のお人よしであることの証明だった。
まずオレに必要なのは、休む時に安心して見張りを頼むことが出来るパートナーだ。
戦いのパートナーが必要になったら、後で見つければいい……。
と、唐突に政府役人の鬼塚の声があたりに響き、和雄の思考は中断された。
『みんなー、生きてるかー。担任の鬼塚だぞー』
見張りをしていた啓太の肩がびくりとあがる。
そして、ロビーの壁にかけられた古びた掛け時計を慌てた様子で見、「もう、そんな時間なんだ……」とつぶやいた。
和雄には拡張機がどこにあるのか分からなかったが、相当の数が島のあちこちに設置されているらしい。
鬼塚の声がはっきりと聞こえた。
『午後6時だー。今夜の宿はもう見つけたかー。二晩連続の野宿はー、いくら君らが若いからといってー、きついぞー。……さーて、まずは、追加禁止エリアの発表だー。地図は手元にあるかー。しっかりチェックしろよー。午後19時からFの8ー、午後21時からCの9ー、午後23時からEの1ー』
追加された禁止エリアに、和雄たちが潜んでいる観光協会のエリア(E9エリア)はなかった。
啓太の視線が和雄に突き刺さる。
不安を訴えかける啓太の視線。
リーダー、助けてよ。この状況から僕を救ってよ。とでも言いたいのか?
和雄は密かに笑う。
安心しろ。オレがそのうち楽にさせてやるよ。
そして、はっと息を呑む。
いつから、自分はこんなことを考えるように?
佐藤君枝や生谷高志らを殺したときは、あんなに迷ったのに……。
いや……、これでいい。
目を軽く瞑り、唾液を喉に落とす。
腹を括ろう。オレは生き残る。生き残るためには非情でなければならない。
『次はー、おなじみの死んだ友達の名前なんだけど、残念ながらゼロだ。どうした、みんなー、ペースが落ちているぞー。もっと頑張ってくれなきゃー』
「何が残念だよっ」
珍しくいらだった声で啓太が反吐を吐く。
善良な彼らしい反応だった。
彼とは違い、和雄は素直に残念だと思った。
マシンガンを支給されたとはいえ、体力の限界、精神力の限界を考えれば、一人で大人数を殺せるわけがない。黒木優子のような、他にスコアを稼いでくれる者に働いてもらう必要があった。
そして、彼ら彼女らにも疲弊してもらっておく必要があった。
青ざめた啓太の横顔を眺めながら、和雄はやはり密かな笑みを浮かべていた。
迷いなく非情になろう、そう思った。また、そうでなければならないと思った。
ことさらに冷酷に、和雄は思考する。
知ってるか? オレの休息が終われば、お前は消される運命なんだ。
佐藤、生谷、そして、筒井まゆみ。
人を殺すってのは予想以上にしんどいことだったけれど、だんだんと呵責を感じなくなってきている自分がとても怖いけれど、どこまでやれるのか不安だけど。
だけど、大丈夫。大丈夫、オレは勝てる。
放送を聞き終えた啓太は、和雄に背を向けて見張りに戻った。
その啓太の背中に向け、和雄は右腕を伸ばす。左手を右腕のひじの辺りに添え、右手の人差し指を前に伸ばし親指を上に立てる。
……右腕を銃に見立てたポーズだった。
そして、「バンッ」押し殺した声の銃撃音とともに、つんっと指先を一度上にあげ、啓太の背中に向け見えない銃の引き金を引いた。
いい気分だった。
そうだ、オレはいま、「いい気分」を感じているんだ。そうに違いないんだ。
大丈夫、大丈夫。
今のところ、上手く行ってる。……上手く行ってる。
和雄は、観光協会の建物に入ったあたりから疲れがピークに達しており、やはり注意力が散漫になっていたようだ。
また、有利なのだと、勝てるのだと、自分に言い聞かすことに気を取られ過ぎていた。
日頃の和雄なら、気がついたはずだった。気がつかねばならなかった。筒井まゆみの名前が死亡者リストにあがらなかったことに。
<残り23人/32人>
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安東和雄
生谷高志らを殺害。現在は矢田啓太と同行。
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