OBR1 −変化− 元版


019  2011年10月01日18時


<安東和雄> 


 秋の陽は早く、6時を前にして暮れ始めいていた。
 パイプ椅子に身を沈めていた和雄は薄く目を細めた。事務スペースの窓の向こうには、稜線をオレンジ色に染めた小高い山をバックにした田畑や果樹園、あぜ道が見えた。
 さきほどまでは今にも雨が降りそうな曇り空だった。
 しかし、いつの間にか晴れ間が広がり、沈み行く夕陽が島全体を染め上げている。

 ……きれいだ。

 遅れて、安東和雄は、自分の発した言葉の意味に気がつき、苦笑をもらした。
 風景を美しく思う。プログラム開始以来、何人ものクラスメイトをその手にかけてきた自分には、似つかわしくない感情だった。
 案外、このオレにも人間らしい心が残っているんじゃないか。
 そう思い、和雄はもう一度皮肉めいた笑みを見せた。
 センターで別けられた黒髪。その細面には、すっと切れ上がった黒目がちな瞳や薄い唇が乗っている。そして、全体としては華奢な印象を与える中背の体躯。
 実際、いくら鍛えても力がつかない自分の身体に和雄は嫌気がさしていた。
 運動神経も決してよくはない。

 でも、そんなオレが、この「プログラム」では多くのポイントを取っているんだからな。
 ざまぁ見ろだ。
 頭を振り、方向を変えた視線の先には、矢田啓太の短く刈り込まれた後ろ頭がある。啓太はベレッタM92Fを右手に持ち、ロビーの大窓にかけられたカーテンの陰に隠れて外の見張りをしていた。
 啓太は和雄がこのコンビのリーダーとなることに異存はない様子だった。
 クラス委員の鮫島学ほどではないが、和雄は成績が良かったし、日頃から大人びた雰囲気のある生徒だったからだろう。
 どちらかと言えば頼りなく、誰かについていくタイプの啓太が、和雄にリーダーを任せるのは無理もないことだった(その是非はともかくとして)。


 観光協会の敷地は、一メートルほどの背丈の植え込みでぐるりと囲まれている。
 足が低く茂みの濃い樹木を使っていたので、植え込みのすき間をぬったり越えたりして敷地に侵入するのは難しいようだ。
 敷地への入り口は、正面のみ。建物自体には裏口があったが、もちろんカギをかけているし、建物一階の裏側には人が入れる大きさの窓がなかった。
 つまり、正面からの侵入を中心に気を配って入ればよかった。

 そして、見張りとしての啓太の能力は信頼の出来るものだ。
 何しろ、注意深く見張りをしていたはずの和雄よりも先に、何者かに追われる尾田美智子の姿を見つけ、助けに飛び出したぐらいなのだから。
 先に気が気がついていれば、啓太を押しとどめることは出来たのだろうが、いきなりだったので止める余裕がなかった。
 「クラスメイトを助ける」余りにも自分からかけ離れた考えだったため、和雄は啓太の行動に予測できなかった。どうやら、啓太は、この殺人ゲームのパートナーとしては少々甘すぎる考えの持ち主のようだった。

 今、この場で殺してしまおうか?
 脇に置いたディパックの止め紐に手を置く。
 この中には、支給武器のマイクロウージー・サブマシンガンが入っている。ウージー・サブマシンガンを切り詰めて小型化したもので、発射速度は毎分1250発と早く、コントロールが難しいが、この距離なら放射線状にばらまいて命中しないということはないだろう。
 だが、和雄はひるがえって考えなおした。
 今、矢田啓太を殺してしまうのは得策ではないと判断する。
 昨夜から「人を殺す」という大業をしているだけあって、和雄は疲労困憊していた。
 休めば、深い眠りについてしまうだろう。一人で眠りにつくのは余りにも危険な行為だった。誰かしら見張りを立てたほうがいい。 
 その見張りとして、矢田啓太ほど適任な者はいないような気がした。
 彼はたしかに甘い考えの持ち主だ。
 尾田美智子の亡き骸を前にして、さきほど啓太が漏らした「本当に殺し合いが始まっているんだ……」という言葉。おそらく無意識のものだろう。
 油断させようとして放った言葉には聞こえなかった。
 言うまでもなく、クラスメイトを殺さなくては生き残れない、このプログラムのパートナーは、非情な心の持ち主であった方がいい。
 しかし、非情な心持の相手であればあるほど、自分が寝首をかかれる危険性が増すのだ。
 その点、彼なら、寝首をかかれる心配はしなくてもいいだろう(もちろん、100%の信頼など出来ないが)。

 今夜、オレと矢田は交代で眠りにつく。
 オレは先に充分な休養を取って、それから、交代で眠りについている矢田に向けてマシンガンをぶっ放せばいいんだ。
 もしくは、「見せ用」の武器であるダイバーズナイフで矢田を刺せばいいんだ。

 笑みを浮かべながら、座っていたパイプ椅子から立ち上がる。
 椅子がきしんだ音を立てた。見張りをしていた矢田啓太がその音に気がつき、振り返る。いつもは穏やかな笑みを浮かべているその童顔には、さすがに疲れが見てとれた。
 和雄は啓太の視線を感じながら、ロビーのソファに横たえられた尾田美智子の亡き骸に近付いた。
「尾田……、死んじゃったね」
 和雄が美智子の死を悼んでいるとでも思ったか、啓太が声をかける。
「そうだな」
 美智子の死のショックから抜けきれていないのであろう。啓太の声は涙に滲んでいた。

 察するに、啓太は尾田美智子のことが好きだったらしい。
 彼と親しい生谷高志が彼女のことが好きだと公言してはばからないでいた。二人は尾田をめぐって争ったりしていたのだろうか。同じ女が好きだったことから、なおさらに友好を深めていたのだろうか。
 残念だったね。
 和雄は考える。
 生谷は、オレが殺しちまったよ。



 プログラム開始当初から、ゲームに乗るつもりではかった。
 修学旅行先へ移動中のバスに催眠ガスをまかれ、気が付けばどことも知れない島。
 政府官僚の鬼塚にプログラム対象クラスに選ばれたと言われたときは、訳がわからず戸惑った。
 置かれている状況を理解してからは、無数にある中学三年生クラスからよりにもよって自分の所属するクラスが選ばれた不運を呪いもしたし、恐怖に震えもした。
 そう、和雄もまた死の恐怖に脅えていたのだ。

 幸いにして最強の支給武器の部類に入るサブマシンガンを支給されてからも、乗るか乗らないか、迷いに迷った。
 そして、腹を括れないまま、今朝方、生谷高志と佐藤君枝を見かけてしまったのだ。
 最初、彼らと合流し、恐怖を慰めあうことも考えた。
 熱血漢で正義感の強い高志となら一緒にいても当座安全だろうと思えた。
 だが和雄には、生きて戻りたい確固とした理由があったし、単純に死にたくなかった。
 震えながら「奪う側」に回ったわけだが、マシンガン使用の経験などなかったので、うまく操作できず戸惑ったし、もちろん人を殺すことも初めてで、良心の呵責、クラスメイトを人を殺してしまったことへの悔恨を感じた。取り返しのつかないことをした、と震えも増した。
 高志らの亡骸に捧げた「すまない」という台詞。あれは、和雄の心からの言葉だったのだ。

 ふと思った。
 ……黒木、尾田を殺したあいつは、何を思ってるのだろう。
 あいつには何が見えているのだろう?
 尾田美智子、黒木優子、そして既に死んだ和田みどり。三人は仲が良く、いつも一緒にいた。そもそも女生徒は群れて動くものだが、この三人は特にその傾向が強かったような気がする。
 尾田のグループのリーダー格は、和田みどりだった。
 凛とした雰囲気を持っており、空手部の津山都のように腕に覚えがある訳でもないのに、妙に迫力のある女だった。
 ややお節介なところもあって、昨日、修学旅行へ出発するバスでも、日頃付き合いの無かった自分にまで「そこ、たぶん楠たちが座るつもりなんじゃないかな。そのへんに座ってたら、後でややこしいことになるよ。悪いこと言わないから、他の席にしなよ」と声をかけてきていた。

 黒木優子は、そんな和田みどりの影に隠れ勝ちで、特に印象の強い生徒ではなかった。
 中間派。
 ごく普通の生徒。
 プログラム開始まではそんなカテゴリーにしか入らなかったはずの彼女が、冷酷に尾田美智子を、友人を、殺して見せたのだ。
 自分と違って、彼女には迷いがないようだった。
 その心の中にはいったいどんな闇が詰まっていたのか。彼女の闇を見てみたい。そして、この手で彼女を殺してみたい。そう、思った。

 尾田美智子の、黒木優子に殺された少女の顔を見つめる。美智子の身体からは既に魂が抜け落ちていたが、不思議に眠ったような穏やかな顔をしていた。
 和雄が殺した佐藤君枝や生谷高志にはない顔だった。

 おい、尾田、なんでお前は、そんな穏やかな顔で死ねたんだ?
 疑問を投げかける。
 答えは返ってこなかった。



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バトル×2
安東和雄
生谷高志らを殺害。現在は矢田啓太と同行している。