OBR1 −変化− 元版


002 プロローグ  2011年9月30日09時


<野崎一也> 


 朝待ち合わせしていたのだが、遅刻しないようにと言った当の高志が寝坊をしていたので、先に一也は学校に来ていた。
 校庭の隅に立ち、高志を待つ。
「暑いな……」
 額に長くかかる前髪を手の平で持ち上げ、滲む汗をハンカチで拭った。
 9月の末日、いまだ夏は去らず、連日汗ばむような陽気が続いている。
 昼頃には、さらに蒸し暑くなりそうだ。顔をしかめながらその中背の身体を包む制服、茶色地のブレザーのボタンを外し、ネクタイを緩めた。
 薄く、潮の香りがする。
 それは、一也が通う神戸第五中学の敷地が海岸からほど近い位置にあるからで、その香りがとどいていた。
 
 しばらくぼんやりと木陰で涼んでいると、クラス委員長の鮫島学 が正門から校庭に入って来るのが見えた。
 一也に気がつき、近づいてくる。生谷高志、矢田啓太、そして、この学を加えた四人でだいたいは一緒に行動していた。修学旅行の自由班もこの四人で組んでいた。
 学は一つ大きなあくびをしてから「おはよ」と手を振った。
 縁無し眼鏡をかけた理知的な大人びた顔。一也と余り変らない中背。そして、短く切りそろえた髪には少し茶が入っていた。
 もちろん校則違反だ。
 担任の高橋教諭から時折注意も受けているようだが、あまり気にしていないらしい。「あんな小物に、俺を注意する資格なんてねーよ」いつだったか、そんなことも言っていた。自尊心が強く、またそれに見合うだけの能力、勉強にしてもスポーツにしても、を持っている学らしいセリフだ。
 学には自分が同性愛者であることを明かしていない。
 これには、特に理由はない。
 プライドが高すぎるきらいもあるが、概ね「いいヤツ」な学に秘密を明かしてもおかしなことにはならないはずだ。
 ただ単純にそういったことを話す機会がなかっただけなんだと思う。
 きっとそのうちサメ(学のあだ名だ)にも話すことになるんだろうな。
 一也は、眠そうな顔をしている学を見ながら、そんなことを考えた。


 しばらく二人して高志を待っていたが、姿を見せなかったので、先にバスに行くことにする。乗り込んだバスにはすでに多くのクラスメイトが座っていた。
 恐る恐る啓太を探すが、来ていなかった。
 啓太はバスケットボール部で、修学旅行に行く前に朝練習があると言っていた。まだ練習なのだろうか。

 バスの座席は自由だったので、みな仲のいいクラスメイトで固まっている。
 入ってすぐの席には、写真部の中村靖史と、いつも青白い顔をしている坂持国生(さかもち・くにお)が並んで座っていた。
 国生は四国エリアに実家があるのだが、肝臓かどこかに疾患を持っていてその治療のために神戸の大学病院に通院しているらしい。
 たしか、親戚の家の世話になっているはずだった。
 靖史とはそれなりに親しくしている。声をかけようかと思ったが、いかにも眠そうな顔でうとうととしているので、そのまま脇を通り抜けた。
 中村靖史には『彼女』の木沢希美がいて、この二人はいつも一緒にいるのだが、今日は離れて座っている。一瞬、喧嘩でもしたのかと思ったが、木沢希美の横に吾川正子(あがわ・まさこ)の姿を認めて得心した。
 吾川正子は喘息持ちで、学校を休みがちだ。
 学校にあまり来れないため友人が少なく、このクラスでは木沢希美以外に親しい者がいないらしい。
 希美が靖史と並んで座ってしまうと彼女の所在がなくなってしまう。希美が気を使って隣りに座ってやったに違いない。


 適当な席を陣取っていると、高志 が駆け込んできた。
 一也らの姿を認め、「ごっめーん」と手の平を胸の前で合わせる。耳にかかる髪をぴんぴんとあちこちに跳ねさせた髪型、小柄な体躯を学校指定の制服に包んでいる。ジャケットの下に、青いパーカーを着ていた。
 高志が通路でもたもたしていると、後ろから「悪い、通してくれ」と声がかかった。
 後ろにいたのは、安東和雄。
 一也よりも少し背の高い中背で、真っ黒な艶のある髪をセンターで分けている。黒目がちなすっと切れ上がった瞳に、薄い唇。どこか、鮫島学と似た大人びた雰囲気を持った男だ。
 安東は最後尾の横椅子に座ろうとしたが、近くに座っていた和田みどりが「そこ、やめといた方がいいよ」和雄に声をかけた。
そして、「そのへん、たぶん楠たちが座るつもりなんじゃないかな」と付け加える。
 安東が無言の返答を返すと、みどりは、「そのへんに座ってたら、後でややこしいことになるよ。悪いこと言わないから、他の席にしなよ」さらに言い足した。
「……ああ」
 安東がぶっきらぼうに返す。姉御肌で世話焼きなみどりらしい台詞と言えば台詞だった。
「さすが、姉御っ」
 高志が茶化したように言う。
「はいはい、おちびちゃんは、大人しくしててね」
 あっさりとみどりに切り替えされた高志を、学が「負けたな、おい」とからかった。
 楠とは、楠悠一郎のことだ。第五中学の素行の悪い生徒たちの代表格だった。このクラスにも彼の仲間が数人いる。彼らはまだ来ていなかった。


 一也は自分の席を確保すると、一度、ゆっくりと目を瞑った。
 昨日、啓太に告白したときに跳ね上がった心臓の脈拍は、まだ落ち着いていない。きっと啓太がバスに乗り込んできたら、心臓は更に肩を上げるのだろう。
 でも……、それも、悪くない、な。
 ふっと微笑む。
 一也の隣りに座った高志が、そんな様子を見て、「啓太、受け入れてくれるといいね」と小声で言ってきた。
「ああ」
 ありがとな。
 気恥ずかしくてとても口には出せないが、一也はこの小学校以来の幼なじみの存在をありがたく、本当にありがたく思っていた。

 そうこうしている間に、スポーツバックを抱えた三井田政信がバスに乗り込んできた。啓太と同じバスケットボール部で、啓太とも仲がいい。ひょろりとのっぽな体型をしており、短髪、目じりの落ちる細い目をしている。啓太も同じような容貌なので、外見はよく似ている二人だが、キャラクターは随分違った。
 啓太は穏やかで真面目な性格だが、政信は自他共に認める「いい加減男」だ。
 課題の類も期日を守ったことがなく、よく教師に注意されているのだが、ちっとも悪びれずに「そのうちやってきますよー」で流してしまう。この歳にして女性関係もいい加減で、よく『彼女』が変わっていた。
 万時に肩の力の抜けた生き方は、多少羨ましくもある。
 こいつなら、同性愛者だったとしてもたいして悩まないんだろうな。
 そんなことを考えながら、「おはよ。啓太は?」と極力平心を装いながら訊くと「もうすぐ来るよ」と気軽な声が返ってきた。
「そか」
 と答え、もう一度目を閉じた。
 さーて、楽しい楽しい修学旅行の始まりだ。
 得意の皮肉めいた笑みを浮かべ、目を閉じたまま、んっと伸びを一つ。
 九州までは長旅になる。
 まぁ、話し好きの高志が飽きさせる事なく話し掛けてくるだろう。退屈はしないですむ。

 思いも。思いもよらなかった。
 その数時間後、まさか俺たちの乗ったバスに睡眠ガスがまかれようとは。そのまま、どことも知れない島に連れていかれようとは。そして、クラスメイトたちと、高志や学といったクラスメイトたちと、殺し合いをすることになろうとは……。



<残り32人/32人>


メモ1 
野崎一也 主人公。同性愛者、友人の矢田啓太のことが好き。
生谷高志 一也の幼馴染。
矢田啓太 柔和な性質。
鮫島学  クラス委員長。プライドが高い。


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