OBR1 −変化− 元版


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001 プロローグ  2011年9月29日23時


<野崎一也>


 野崎一也(神戸第五中学三年) は、自室でノートパソコンの画面をぼんやりと眺めていた。
 立ち上がっているのは、とある日記系のサイトだ。
 日々の他愛もないことを日記に綴っているだけなのだが、このサイト主は一也と同じ悩みを抱えており、日記を覗いていると、「ああ、自分だけが苦しんでいるんじゃないんだ」と思えて少し救われた気分になる。

 特に、今夜は彼のサイトが必要だった。
「言わなきゃよかったなぁ」
 先ほどから幾度となく繰り返す台詞。
 後悔の念とともに、深いため息を落とす。
 そして、 切れ長の細い瞳をさらに細め、自虐めいた笑みをうかべた。
 いつからか始まった経済危機は終わりをみせず、2011年現在、我らが大東亜共和国の行く道は混迷に混迷を極めていた。「過去最悪の失業率」「○月危機」といった言葉が、テレビニュースや新聞記事に切れ間なく流れている。
 自分を冷ややかに笑ったのは、「そんな世の中で奔走する大人たちから見れば、自分の悩みなんて小さなものだろうな」と思ったからだった。 

 だけど、俺にとっては重要なことなんだ。
 そう思い、またため息を一つ。
 
 昔は栄華していたらしい経済が傾いた原因は明白だ。
 長く続く準鎖国政策。もちろん、必要な海外情報は取り入れ産業振興に役立てては来たらしい。
 しかし、万時にオープンな諸外国との差はしだいにつき始め、勤勉で従順な労働力を抱えていたはずのこの国の経済は、今まさに「まったなし」の状態だということだった。
 政府も手を拱いて(こまねいて)いるわけではないので、徐々にだが鎖国政策が解かれつつあった。
 例えば、今眺めているパソコンのOSは海外メーカーのものだし、右手首にある腕時計もそうだ。
 以前は鎖国政策の締め付けが強く、外国製品はなかなか手に入らなかったのだが、ここ数年、本当に最近のことだが、流通し始めていた。
 「時代は変りつつある」
 一也の父親が、最近晩酌の時に漏らすようになった台詞だ。


 と、パソコン画面の右下のアイコンが点滅し、『タカシがログインしました』と小ウインドウが出た。
 動いたのは、リアルタイムにメッセージをやり取りする、いわゆるメッセンジャーソフトで、『タカシ』は、隣の家に住んでいる幼馴染の生谷高志のことだ。
 同じ学年で、今年はクラスも一緒だった。
 これも開口一番というのだろうか、『どうだった?』と、いきなりメッセージが流れる。
 せっかちな高志らしいと苦笑しながら、『微妙』とだけ返す。
 即座に『あらー』と返ってき、『驚いてたっしょ?』続いたので、『うん、すっげ驚いてた』とタイプした。

 そりゃ、驚いただろうなぁ。
 大きく伸びをし、クラスメイトの矢田啓太の柔和な顔を思い浮かべる。
 ……なんせ、男に告られちまったんだからな。
 一也は同性愛者だ。
 子どもの時から自分の性指向が他人と違うことに薄々は気が付いていたのだが、中学に上がった頃には自分が同性愛者だとはっきり自覚した。
 なかなかに重い事実で、一時の一也を悩ませたものだが、最近になって少しだけ受け入れることができるようになっていた。
 インターネットの世界を通じて、同じ悩みを持つ者がいることを知ったこともあったが、一番大きいのはやはり、この古くからの友人、生谷高志のおかげだろう。
 自分が同性愛者であることをおそるおそる明かしたとき、高志は軽く笑って「やっぱ、お前って変ってるわ」と言ってきただけだったし、それ以降も変ることなく接してくれた。
 それなりには気持ちの悪さも感じたはずなのに、それまで通りでいてくれた。
 
 強調したいのだろうか、フォントサイズを変えて、『でも、酷いことは言われなかったでしょ?』と高志が打ってきた。
『うん、大丈夫だった』
『そか、よかったね』
 タイプしてから、胸がちくりと痛んだ。
 今日の夕方、告白したときの啓太の顔を思い出したからだった。
 血の気が引く、というのはあのことを言うのだろう。いつもは穏やかな笑みを浮かべている彼の表情が凍りつき、ややあって、「それってどういう……?」と返ってきた。
 慌てて、「付き合うとかそんな馬鹿なこと期待してないよ。ただ、知って欲しかっただけ」と最大限の努力を払って、少しでも軽い口調に聞こえるように畳み掛けた。
 それで、少しほっとしたような表情を見せてくれたのだが、あれは、「大丈夫」と言えるのだろうか……。

 言ったとおり、思いが通じるなんていう展開は期待していない(本心の本心ではもちろん期待しているのだが)、ただ、友達として受け止めてくれるかが問題だった。
『きっと、これからも変わらなくいれるよ』
 一也の感情をよく知っている高志が、今度は色を変えてメッセージを送ってくる。
『ああ、ありがと』


 ここで、唐突に『さ、明日遅刻しないようにねー』と高志が話を切り替えた。
 重い気持ちになっている自分を気遣ってくれたのだろう、首を動かし、窓の外を眺める。
 その先は隣の生谷家の庭が見えた。
 そのさらに先、カーテンの隙間から明かりが漏れている二階の一室が、高志の部屋だ。
 その部屋に小さくお辞儀をして、『そだね、そろそろ寝るよ』と打ち返す。明日から、修学旅行で九州に行くことになっていた。
 啓太とは多少ぎくしゃくするかもしれないが、まぁ、楽しい旅行にはなるだろう。



<残り32人/32人>


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 同時刻、瀬戸内のある小さな島、山陰にひっそりと佇む石碑の前に、一人の男 がいた。
 歳は20代半ば、短く切り詰めた髪に薄く茶色い染色が入っている。方耳にはピアス、ジーンズに黒地のジャケット。砂利を敷き詰められた地面に片膝を突き、小さな花束を両手で抱えている。
 男は、その花束を石碑にささげ、ゆっくりと立ち上がった。
 空を見上げると、折り重なった梢の先に、薄い夜雲に覆われた月が見えた。
 昨日本土から見た月とは違い、その黄は、禍々しいほどに鮮やかだ。

 何人の人間の血を吸ったらあんな色になるのかな。
 そんな風に思った男は、ふっと皮肉めいた笑みを続け、「まぁ、知ったことじゃないや」と肩をすくめた。そして、後ろ手でひらひらと石碑に手を振り、どこかへと歩を進めた。
 


<残り32人/32人>


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