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016
2011年10月01日10時すぎ |
<尾田美智子>
痛みに目の前がクラクラし、膝と包丁を落としてしまった。
そこに、駆け寄った優子が美智子の側頭部に裁ちばさみを押し当てた。
「みどりのこと、気がついてなかったでしょ」
言われた通りだった。みどりが生谷高志を好きだなんて、一度も考えたことがなかった。
彼女の意図は見え透いていた。精神的に揺さぶって、反撃させないようにしている。分かっていた。分かってはいるのだが、彼女の狙い通り、頭と身体が動かない。悲鳴すらあげることができない。
「みどり、何も言ってなかったけどっ」
右手の甲にはさみを突き立てられる。
「OKならちゃんとOKして欲しかったんと思うっ」
また胸元を切られる。
「OKじゃないのなら、ちゃんと、生谷を振って欲しかったんだと、思う!」
優子がみどりの気持ちを代弁しながら、攻撃してくる。
その一つ一つを美智子は甘んじて受けた。
ああ、私は、彼女になんて残酷なことを!
男の子が怖かった。だけど、素敵な恋にも夢見ていた。決して弄んだわけではない。熱意を持ってアタックしてきてくれる高志に期待を寄せてもいた。意気地のない自分を、一歩踏み出せない自分を、彼なら変えてくれるのではないかと、期待していた。
臆病だったから。どうしようもなく、臆病だったから。だから、彼任せにしていた。
事を先延ばしにする私を、みどりはどんな気持ちで見ていたのだろう?
と、美智子の右手に何かが触れた。ポラロイドカメラだ。次の美智子の行動は、ほとんど無意識のものだった。ポラロイドカメラのストロボが光る。
「くっ」閃光に目を焼かれた優子が、いやいやという風に顔の前で手を振った。
だけど、それだけだった。カメラを払いのけられる。
と、低く鈍い銃声があたりにこだまし、二人から少し離れた果樹の枝がはじけとんだ。
「なっ」
唖然とした顔で優子があたりを見渡す。
「な、何やってんだよ、お前ら!」
声のした方向を見ると、ひょろりとのっぽの影が立っていた。影の正体は、すぐに分かった。バスケットボール部の矢田啓太だ。
「黒木、お前、尾田を襲ったのか?」
震える啓太の声。
優子の行動は素早かった。踵(きびす)を返し、駆け出す。
啓太は舌打ちすると立ち上がり、駆け出す優子に向けて銃を向けた。
それを見た瞬間のこと、「逃げて!」美智子は叫んだ。
「逃げて! 優子!」その声に驚いた啓太が銃を打つ手を止める。
同じく驚いたであろう優子が一度だけ立ち止まり、振り返った。そして軽く首を振ると、果樹園の向こうへと姿を消した。
*
「尾田、大丈夫か?」
美智子は、啓太の足音と心配そうな声を聞いた。その視界は朦朧(もうろう)としており、意識もぼんやりと霧がかかったようになっていた。
「なんで……」
啓太の声がする。身体が浮き上がるような感覚。どうやら、啓太が抱き起こしてくれたようだ。
矢田くん……。
ひょろりとのっぽの体躯に不釣合いな童顔。穏やかな笑顔。そう親しく話したことがあったわけではないが、それなりに好印象を持っていた。
「なんで、黒木は尾田を……」啓太の声がする。「いや、それよりも、尾田、こんな酷いことされたのに、なんで黒木を助けたんだ……。」
なんで?
落ちて行く意識の中で、美智子は啓太の疑問を復唱した。
なんで、優子は私を襲ったんだろう。
どうして、私は優子を助けたんだろう。
なんで、どうして……。
分からないことだらけだった。
その中で、一点だけ、分かっていることがあった。
優子に何度も切りつけられ、突き刺さされた身体。しかし、顔だけは綺麗なままだった。身体中が傷だらけになったが、美智子の顔だけは綺麗なままだった。
優子は方々傷つけてきたのに、顔面だけは狙ってこなかったのだ。
たいして意味はなかったのかもしれない。ただ単純に的の大きい体心を狙っただけのことなのかもしれない。
だけど、それでもよかった。
落ちていく意識の中、このどうしようもない状況の中、それだけが美智子の救いとなった。
<尾田美智子死亡 残り23人/32人>
<矢田啓太>
矢田啓太は、その腕の中で尾田美智子が息を引き取るのを見届けた。
「なんで……」
同じ疑問を口にする。
尾田美智子と彼女を撃った黒木優子は、日頃から仲がいいように見えていた。なのに、なんでっ。そう、だいたいどうしてみんな殺しあうんだ?
特に問題のない、和気藹々としたクラスだったじゃないか。それなのに、どうして……。
啓太が呆然と立ちすくんでいると、「矢田、危険だ。建物に戻れ」背後から声がした。
「安東……」
果樹の陰から姿を現したのは安東和雄(生谷高志らを殺害)だ。
手にはダイバーズナイフを持っていた。
和雄は慎重にあたりを見渡してから、「やる気になった誰かが、今の銃声を聞いてやってくるかもしれない」と言った。
「だけど、このままじゃ」
啓太は、美智子の脱け殻に視線を落とした。
「そうだな、死体を放置したままだと危険かもな」
「えっ?」
「俺たちが近くにいることがバレるかも知れない」
啓太は「そう言う意味で言ったんじゃないんだけどな」と、憮然としながら美智子の身体を抱きかかえた。
人の身体ってこんなに重かったんだ……。
小柄な美智子だが、ずしりと重く、結局、和雄の手を借りることとなった。
<残り23人/32人>
矢田啓太 野崎一也や生谷高志と親しい。
安東和雄 生谷高志らを殺害。
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尾田美智子
生谷高志が好いていた。
黒木優子
美智子と親しかった。
和田みどり
美智子と親しかった。野崎一也の前で入水自殺。高志のことが好きだった。
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