OBR1 −変化− 元版


015  2011年10月01日10時すぎ


<尾田美智子> 

 
 尾田美智子は、果樹園の中で膝を抱え、震えていた。
 位置はEの8エリア、すでに果実の取りいれは終わっているようだが、柑橘系の甘酸っぱい香りが残っていた。しかし、美智子にはその香りを楽しむ余裕はない。
「どうして、どうして、どうして……」くり返す美智子の疑問。
 どうして、なんで、こんなことに。
 本来なら、今ごろは修学旅行の真っ最中のはずだった。所持を許された自分の荷物の中には、衣類や化粧ポーチの他に、たっぷりのお菓子とポラロイドカメラ。
 夜は、黒木優子や和田みどりといった仲の良い友達とおしゃべりに華を咲かせながら、お菓子を食べるつもりだった。
 それが、どうしてこんなことに。

 美智子は、涙で濡れた顔を制服の袖でぬぐった。昨夜から櫛を通していない肩までの髪は、すっかり乱れてしまっている。
 彼女はクラスでは中間派でごくごく普通の女子生徒だった。
 多少なりとも目立つ所があるとすれば、その愛くるしい顔立ちだ。大きな瞳に小ぶりの鼻。そして、つるんとした肌。そこに小柄な体躯が加わる。
 当然、男子生徒には人気があった。その反面、一部の女生徒からは多少やっかまれてしまっているが、美智子の飾らない性格が幸いし、優子やみどりといった友達にも恵まれていた。

 もちろん、対象となる中学3年生の少年少女にとっては、プログラムは恐ろしいイベントだ。
 美智子も3年生になったときに、優子やみどりと「もし、プログラムの対象クラスになったら、どうする?」などと話した事がある。
 たしか、優子が訊いてきたのだ。
 あのとき、美智子は「私は、戦えないよ。友達と殺し合いをするなんて考えられない」と答えたような気がする。みどりは、いつも通りのはっきりとした口調で「私は、戦う。襲われたら身を守る」と言っていた。
 もちろん、美智子たちは本気で自分たちがプログラムの対象クラスとなるとは考えていなかったし、もし対象クラスに選ばれたとしてもクラスメイト達が殺し合いをするとは思ってもいなかった。
 しかし、現実に美智子たちのクラスはプログラムの対象クラスに選ばれてしまったうえ、殺し合いは始まっていた。
 先ほどあった初めての定時放送でも三人の名前があがっていた。そのうちの一人がみどりだった。

「あの子は、あのときの言葉どおり戦ったんだろうか、それとも戦うこともできずに死んだんだろうか……」
 みどりが自ら命を断ったことを知らない美智子は、そんなことをふっと思い、地面に置いた裁ちばさみの表面をそっと指でなぞった。これが美智子の支給武器だった。これだけでは心もとないので、途中民家に忍び込み包丁を一本拝借している。
 お父さん、お母さん、お姉ちゃん……。
 家族の顔が浮かんでは消えていく。姉の百合子とは些細なことから喧嘩となり、冷戦中だった。
 ごめんなさい、お姉ちゃん、私、お姉ちゃんが大好き。でも、もう謝ることはできないのかもしれない。
 涙が美智子のつるんとした頬を伝う。

 ああ、あの時。
 美智子は思う。
 あの時、立ち止まっておけばよかったのだろうか?
 美智子は、スタート地点となった分校を出たところで、生谷高志(安東和雄が殺害)に声を掛けられていた。高志は、日頃からあからさまにラブコールを送ってきてくれていた生徒だ。
 だが、美智子は立ち止まらなかった。

 怖かった。

 担任の高橋教諭の死体を見てしまったこともかなり尾を引いていたし、日頃から男子の視線を浴びる機会が多かった美智子は、本能的にその視線の中に性的なものがあることを察知していた。
 そんな彼女が高志に声をかけられたときに、男子と一緒にいるのは危険だと思ったのは無理もないことだった。
 が、しかし。
 ああ、私、馬鹿だ。生谷くんが、そんな変な目で私を見ているワケがないじゃないの。いつも、まっすぐにこんな私を見ていてくれてたのに。
 高志の力ある瞳を思い浮かべる。
 きっと。きっと、もう一押しされてたら、私、高志君を受け入れてただろうな。きっと、好きになっていただろうな。
 充分すぎるアピールを繰り返してきていた彼からすれば、「まだ、足りなかったの?」という感じだろうが、とにかく。とにかく、高志の想いは彼女の元に届きつつあったのだ。



 と、「美智子? 美智子でしょ?」突然、後ろから声をかけられた。
 「ひゃっ」
 短い悲鳴をあげ、後ずさりしながら後ろを振り返る。
 どうして! 周りの気配には充分すぎるほど気を配っていたのに! どうして、どうして!
 悲鳴を上げた時に閉じてしまった瞳を、あまりの恐怖で開けることができない。目を瞑ったまま、美智子は震える手で包丁を掴み、声のした方に向けた。
これに、相手がぷっと吹きだした。
「何それ、そんなので戦う気?」
 聞き覚えのある声。恐る恐る目を開けた美智子の前に立っていたのは、苦笑いを浮かべた一人の女子生徒だった。
 見慣れた茶色地の制服。政府支給の大型ディパックを背負い、私物のスポーツバックを肩掛けしている。美智子よりも幾分背の高い中背に、ソバカスだらけの頬、愛嬌のあるくりくりとした目、赤茶けた長い髪……。
 それは、日頃から仲の良かった黒木優子だった。
 うす曇の空と果樹の茂みのおかげで辺りは陰ってしまっているが、親友の顔を見間違えるはずはなかった。

「ゆ、優子っ、ど、どうしてここが?」
「私もここに隠れようと思ったの。そしたら、誰かいるのが見えて。恐かったけどそれが誰か確かめないのはもっと恐かったから……」
 軽い口調で言うと、優子は笑った。
「まさか、美智子だとは思ってもみなかったけどね」
 この状況下で親しい友達と生きて会えるとは思ってもみなかった。美智子は心の中で神様(今の今まで信じたことなんてなかったけれど)にお礼をした。
「で、いつまでそれを握っているつもり?」
「え?」
 見ると美智子が握っていたのは包丁ではなく、ポラロイドカメラだった。無我夢中だったから掴み間違えたのだ。
 優子が声を上げて笑った。
「こんな時に記念撮影?」
 つられて美智子も噴出してしまった。昨夜のプログラム開始以来の笑顔だった。


「あーあ。可愛い顔が台無しね」優子がポケットからハンドタオルを出すと、美智子の顔を拭ってくれた。
「ありが、と」
 優子がぬぐう後から後から涙がこぼれる。ずっと気を張り詰めていたのだ。友人との思いがけない再会に、美智子の涙腺は緩みっぱなしだった。
「もう、会えないかと思ってた」そんな美智子に優子が微笑む。
 美智子は昨夜からの恐怖感に強張ってしまった顔にやっとの思いで「微笑み」の表情を乗せ、「私も」と答えた。
「みどり、死んじゃったね」
「うん。誰に殺されたんだろ」
「分からない」優子は頭を振ると、「誰か、危険な奴、知ってる? 銃声や爆発音が時々聞こえるわ」と言った。

 情報交換は大切だが、美智子はまだ何も見ていなかった。数時間前に、南の集落付近で何度か銃音を聞いていたので、その話をする。
 その間、優子は、美智子を落ち着かせるためか、後ろに回り、櫛で髪をといてくれた。
 そういや、みどりの髪って艶があってきれいだったなぁ。
 そんなことを考えていると優子がさらに質問してきた。
 銃は一種類だったか、撃たれた者の悲鳴は聞いたのか。人影を見ていないか。その一つ一つに答えながら、美智子はしだいに優子の様子に違和感を感じ始めていた。

 おかしい。いつもの優子と口調が違う。いつもは、もっと明るい声で話すのに今日の優子の声はやけに鋭く聞こえる。
 ぞくり。美智子の背中に悪寒が走った。「ゆ、優子?」声が震える。
 まさか。まさか、優子はプログラムに乗ってしまったのか? 今も髪をとかす振りをして後ろから私を狙っているのか?
「どうしたの? 震えているわよ?」
 後ろから聞こえる優子の声。今までに聞いたこともないような艶っぽい声だった。
 美智子はぐっと地面を掴み立ち上がると、振り向きざまに手に握った土を優子めがけて投げつけた。

 彼女は、左の手の甲でその土つぶてを防いでいた。空いた右手に光るのは美智子の支給武器だった裁ちばさみだ。脇においていたのをとられてしまった。包丁は美智子の視界に入る位置にあったので、取れなかったのだろう。
 後ずさりしながら美智子は疑問を口に出した。
「ど、どうして?」
「あんた、前々から気に食わなかったのよね」
 優子があざけり笑いを返す。
「ちょっと可愛いからって、いい気になってさ」
「そ、そんな……」
 美智子の瞳に涙が滲んだ。
 友達だと思っていたのに。親友だと思っていたのに。どうして? どうして?

「ねっ」
 優子が裁ちばさみを振りかぶる。
「知ってる?」
 そのまま勢いをつけて振り下ろしてきた。必死の思いで避けるが、手の甲をはさみの刃が掠め、薄く悲鳴を上げる。
 じりじりと後じさっていると、振り下ろした勢いそのままに地面に膝を突いていた優子が立ち上がり、言葉を続けた。
「みどり、生谷が、好きだったのよねっ」
「えっ」
 止まっていはいけないところで、動作をとめてしまった。
 しっかりと両手ではさみを握り締めた優子が突進してくる。刃は美智子の脇腹に飲み込まれた。ばっと赤い血が飛散する。果樹園の柑橘の香りに鉄臭い血の匂いが混じった。
 呻きながら、地面に落ちてた包丁をつかむ。
 これを見た優子が笑った。今までに見たこともない笑顔だった。そして、口を開く。
「また、カメラをつかんでるよ」
 はっとして、美智子は手元に目を落とした。しかし、その手にあったのは、包丁の鈍い光だった。
 騙された!
「ばーか」
 今度は横振りに切り付けられる。美智子の胸元が赤く染まった。



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バトル×2
尾田美智子
可愛らしい容貌。生谷高志が好いていた。