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OBR3 −一欠けらの狂気−  


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001 プロローグ  1980 年9月30日08時00分


<雨宮律>


 雨宮律あまみや・りつは、木造校舎の二階廊下をゆったりとした足取りで歩いていた。
 小柄で華奢な体躯を学生服で包んでいる。
 ばさっとした前髪が眉にかかる丸いフォルムの童顔。右の眼もとに小さなほくろがあるが、今は黒ぶち眼鏡のフレームで隠れている。
 律が進む校舎はL字型をしている。窓の向こうに、L字のもう一辺が見えた。
 視線を動かせば、双葉山が迫ってきている。山は朝の陽ざしに照らされ、光を帯びて見える。秋口、木々はしだいに色づいてきており、緑の中にぽつぽつと赤や黄色のアクセントが加わりつつああった。
 尾根はどこまでも続いている。
 双葉山は長野県を横断する神崎山系の一つだ。
 律が住んでいるのはその山のふもとにある双葉町だった。町の大半は、農地と山が占める。また町の中央部を川が突っ切り、分けていた。自然豊か、風光明媚といえば聞こえはいいが、さしたる特産もない片田舎だ。

 1980年現在、大東亜共和国は好景気に沸いており、宅地開発、リゾート地開発も活発に行われている。
 その一つが、神崎高原リゾート開発だ。
 神崎高原は神崎山西麓に広がる標高700メートルほどの高原で、もとは大東亜共和国有数の酪農地だった。そこに別荘地のほか、キャンプ場やテニスコートなどを整備し、大々的に売り込む予定のようだ。
 物が動けば人が動き、金が動く。
 神崎周辺はすでに潤ってきている。
 大人たちはそのおこぼれを期待しているが、残念ながら、同じ神崎山系でも開発地から離れている双葉町までは景気の波はやってこないようだ。

 ただ、律はそれでいいと思っていた。
 何もない小さな町だけど、住めば都だ。律はこの町のことが好きだった。
 野山を駆け回るタイプの子どもでは決してなかったが、四季折々に顔を変える双葉の自然が好きだった。
 窓の外を見やる。先にあるのは双葉山だ。
 後数週間もすれば、すっかり紅葉するのだろう。さらに数カ月すれば、雪化粧。春を迎えれば新芽が息吹く。
 それに、片田舎といっても、交通の便はそれほど悪くない。電車に数時間揺られれば長野市にも出られる。
 若者としては都会にあこがれる気持ちもあるが、町を出る出ないを考えるのは、もっと大人になってからでいい。
 律は己をよく知っている。
 都会の気ぜわしさは自分に合っていない。街はたまに遊びに行くぐらいで十分だ。
 そう思いながら、隣を歩く三原勇気みはら・ゆうきを見やる。
 勇気はがっしりとした体格で背も高い。小柄な律からは見上げる形なった。
 彼もまた双葉生まれだが、それほど町への思い入れはなく、大学進学のタイミングで東京に出たいと言っていた。まぁ、それもまた一つの選択だろう。
 それは、町を好いている律とて同じことだ。
 近場では進学先も就職先も限られる。結局は町から出ることになるのかもしれない。
 そう考えると寂しいような侘しいような気持ちになる。
 
 
 と、「あっ」勇気が声を上げ、立ち止まった。
「……どうかした?」
 彼に合わせて歩を止めた。
「あいつら、またっ」
 勇気が太い眉をきゅっと上げ、窓を指差した。
 窓の向こう、L字のもう一辺の廊下に、学生服姿の人影がいくつか見える。
 今日は日曜日で、本来学校は休みだが、来月半ばに行われる合唱際の練習での登校だ。音楽室を時間差でクラスごとに使うことになっており、律たちが一番最初だった。
 午前8時。ほかのクラスの生徒が登校するには早い時間だ。前に見える人影は、クラスメイトだろう。
 
 律は近視だ。眼鏡の奥の丸い瞳を細め見る。
「ああ……」
 人影の正体が分かった。
 堀北優美ほりきた・ゆうみ須黒すぐろユイユイの後ろに見えるのっぽの学生服は和久井信一郎わくい・しんいちろうのようだ。
 そして、勇気が不機嫌になった意味も分かった。
 ユイはあまり素行がよくなく、気の弱い優美が格好の的になっていた。何かにつけ辛くあたっている。和久井信一郎は、ユイの『子分』だ。
 今もユイが優美に何かしているようだった。
「あいつら、昔っから、なんでこう」
 正義感の強い勇気が憤慨する。
 双葉中学校は、全校生徒50人足らずと、小ぢんまりとした規模だ。
 特に、律たちの学年は10人という少人数だった。クラスメイトのほとんどが子どもの頃からの顔見知りで、律と勇気も、生まれてこのかたの付き合いになる。
 
 注意するつもりなのだろう、勇気が駆け寄ろうとした。
「ちょっと……待って」
 幼馴染の行動予測はついていたので、ゆったりと制する。余裕を持って制したのだが、小柄な律が跳ね飛ばされる形になった。
「あ、ごめん。なんで、待つんだ?」
「直接止めるのは、不味いよ」
 これも予測ついていたが、「何それ? イジメはよくないに決まってるじゃん」勇気が荒い声で正論を吐く。
 勇気は、勉強も運動も出来、背が高く、容貌も整っている。家はそこそこの金持ちで、家族仲もいい。学校でも、クラス委員と生徒会長を兼ねていた。無論、女の子の人気も高い。
 しかし、何不自由なく育った、挫折知らずの人生から来るのだろうか、弱者の立場に立って物事を考える想像力に欠けるところがあった。

 彼女たちのいざこざをイジメとして止めた瞬間、優美はイジメられていることになる。
 果たして優美は、イジメられっ子の烙印を押されることを望むだろうか?
 それに、狭い田舎町だ。
 家族兄弟で顔見知りだし、中学を卒業しても同じ高校に通うことになる。付き合いはまだまだ続くのだ。表立って対立するデメリットは、大きすぎる。 
 また、優美には新谷華しんたに・はなという気の強い親友がおり、概ね彼女が守ってくれている。味方がきちんといる以上、わざわざ事を荒げる必要もないと、律は考えていた。

 華も正義感が強いが、優美の意思を尊重するだけの気回りはあった。
 その華と勇気は彼氏彼女の関係だ。
 ……二人でそういう話はしないのかな?
 勇気の整った顔をそっと見やる。
 ……話しても、無駄だったのかな。
 正論がときに人を傷つけ、相手の立場をさらに不味くする。およそコンプレックスというものに縁がなく、よく言えば真正直、悪く言えば単純馬鹿な勇気には納得できない道理なのかもしれない。

「だからさ、こうしようよ」
 律はすっと息を呑み、「勇気、歌詞ちゃんと覚えてる?」大きな声を上げた。
 わざとどたどたと足音を立て進みだす。遅れて、律の意図を理解した勇気が「……もうちょいかなぁ」しぶしぶあわせてきた。
 L字廊下の角を曲がったところで、慌てて優美から離れる須黒ユイの姿が見えた。
 間髪いれず、「優美、おはよー」律は優美に声をかける。
「お、おはよ……」
「華は?」勇気が訊く。
「……寝坊しちゃってて。開始時間までには来るって言ってた」
 優美が軽く頭を振ったので、長い黒髪がさらりと揺れた。手入れの行き届いた艶髪で、いつも自信なさげな彼女唯一の自慢らしかった。
 存在を無視された形のユイが舌打ちをし、和久井信一郎を引き連れて去っていく。音楽室とは違う方向だ。しばらくしてから出直すつもりらしい。
 これで優美の体面が一応は保てたと、律は息をついた。

 
 音楽室に入ると、すでに一人来ていた。
「静馬、早いね」
 律が見やった先にいたのは、中背の華奢な体躯をした男子生徒だった。
 藤鬼静馬ふじおに・しずま切れ長の瞳に、さらりとした黒髪、抜けるような白い肌。田舎育ちの勇気たちにはない、都会的な雰囲気を身にまとった男だ。
 さもありなん、静馬は二年前までは東京エリアに住んでいた。
 静馬の母親は病気がちで、双葉町に来たのは転地療養目的だった。静馬は母親に同行したのだ。
 事業家の父親は東京に残り仕事を続けているとのことで、姿を見たことが無かった。

 都会の風を背負った藤鬼家は、土にまみれた双葉の町では浮いた存在だった。
 母子の世話をしていた最初の家政婦が川に落ちて死んだこともあって、藤鬼の家を不吉と見る向きもあった。
 まぁ、家の中に篭っている母親はある意味別世界の人間で、それでも支障ないのだが、学童の静馬はそうも行かなかった。
 排他的な田舎社会のこと、最初は苦労したようだ。
 しかし、しばらくして、家の近い律と親しくなり、しだいに交友を広げていった。今では、立派な『クラスメイト』だ。

 静馬は東京時分からピアノを習っており、今でも隣町のピアノ教室に通っている。
 合唱祭では、静馬がピアノの鍵盤を叩くことになっていた。
 運動はあまり得意ではないが、ピアノのほかに絵もうまく、彼の才は芸術面に集中しているようだった。
「静馬ぁ、ここんとこなんだけどさ……」
 鞄から楽譜を取り出した勇気が、静馬に話しかける。
 勇気はクラス委員として合唱際を取り仕切っている。音楽の知識のある静馬を何かと頼っていた。
 勇気と静馬が話し込み始めたので、間が空いた律は、のんびりと窓の外の景色を眺めた。
 澄んだ空の下、田畑が見える。その奥に連なる山々。目線を下げると、駐車場に、見慣れない大型車が何台か停まっているのが見えた。
「なんだろう……」
 胸騒ぎと不思議な高揚感を覚え、律はぎゅっと眉を寄せた。



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