OBR1 −変化− 元版


011  2011年10月01日06時すぎ


<佐藤君枝> 


 佐藤君枝は支給武器であるカッターナイフを握りしめ、170センチ近い長身を恐怖に震わせていた。
 エリアとしては I の5、南の集落の入り口付近になる。
 スタート地点となった分校からアスファルト敷きの農道を南に下った終着点、住宅が少しずつ密集し始めたあたりだ。
 昨夜は藪の中ですごした。バレー部で鳴らした自身の体力と照らし合わせても二晩連続の野宿は辛いものと思われ、集落をめざしたのだが……。
 舗装の切れ目から生える野草、朝露に濡れる草木を踏みしめる。
 背にした黒塗りの板塀に手の平をつき、そのじっとりと湿る感触を確かめる。
 そして、その視線の先に立っているものを信じられないような思いで見つめた。
 南の集落に入り、ほっと一息を付いた瞬間、5メートルも離れていない角からひょいと顔を出した彼、生谷高志の姿を。

 高志もまた驚いたような表情で君枝のことを見ていた。
 あちこちに跳ねさせた、もともとお世辞にも整っているとは言えないスタイルをしていた髪は、ひどく乱れており、制服の下に着こんでいるブルーのパーカーには泥がついていた。
 そのせいだろうか、どこか退廃した雰囲気を纏っているように君枝には感じられた。
 ああ、神様……。
 なんで、よりによって生谷なんかに。
 君枝の瞳が涙で滲む。

 高志は、君枝にとって出会いたくなかった生徒の一人だった。
 理由は……、尾田美智子。
 彼が美智子のことを好いていることは周知の事実だ。君枝はその美智子にかなり辛く当たっていた。陰口を叩くだけではなく、面と向って嫌味や悪口を何度も言った。
 そんな君枝のことを、高志がこころよく思っているわけはないのだ。
 プログラム会場で出くわせば、きっと殺される。
 そう思っていた。
 事実、殺し合いは始まっている。先ほどの6時放送、初めての定時放送で何人のクラスメイトの名前が呼ばれていた。
 その中には、尾田美智子と親しかった和田みどりの名もあった。
 そして、君枝の仲間だった香川しのぶの名前も。

 朝焼けを終えたばかりの青空を背にした高志が、一歩、歩み寄る。
「佐藤……か」
「近寄らないで!」
 君枝は手に持ったカッターナイフを高志に向けた。ナイフの切っ先が震えていると思ったら、足元を起点に身体の何から何までが震えていたことに気が付く。
 怖い、やだ、死にたくない。神様、助けてっ。
 そんな君枝に、高志がゆっくりと噛みしめるような口調で言った。
「俺は、乗ってない。やる気はないんだ」
 そしてまた一歩近付く。
「うそっ」
 ばっかじゃないの。これが何だと思ってるの? プログラムよ、プログラム。たった一人しか家に帰ることが出来ないのよっ。乗っていないわけがないじゃない。
 みんな、このときとばかりに日頃気に入らなかった生徒をやっつけてるに決まってる。
 そう、あんた、私のこと嫌いだったんでしょ?
 あんたが私のことを狙わないわけがない!
 とうてい信じられずナイフを下げない君枝のもとに、高志が駆け寄ってきた。
「やっ」
 恐怖に目を閉じ、自らが作った暗闇の中、無茶苦茶にナイフを振り回す。
 何かを切り裂く感触が手元に走った。
 しかし、両腕を掴まれ、そのまま木塀に体を押し付けられてしまった。
「落ち着け! 落ち着けって」
 至近距離から響く高志の声。
 冗談じゃない、戦うのをやめたらどうなると思ってるの!
 男子と女子とは言え、小柄な高志に比べ君枝の方が体格がいいし、バレー部で鍛えられている。本来の君枝ならば抜け出そうとすれば抜け出せたはずだった。
 だが、あまりの恐怖に力が入らない。……それでも君枝は出せる力を振り絞って抗った(あらがった)。
 と、ぱしり。いきなり平手打ちをされた。
「何、すんのよ!」
 打たれた頬を抑えながら、涙に濡れる両のまなこを開き睨みつける。

「お、れ、は、やる気はないんだ」
 高志が一言一言噛み締めるように言う。
 目前に立ち自分の腕を掴む生谷高志。君枝の方が背が高いので少し見下ろすような感じだ。つるりとした丸顔に乗った、いかにも気の強そうな太い眉、強い光を放つ瞳、ひきしまった口元。
 ナイフの刃が掠めたのだろう、その額のあたりに真新しい切り傷が出来ていた。
 向けられる眼力の強さに、君枝は息を呑む。
 そこには小さな勇者がいた。プログラムの恐怖に打ち勝とうとしている、少なくともその意志をたぎらしている勇者が。

 今度は君枝が高志に掴みかかる番だった。
 両肩を掴む。手入れの行き届いた爪が、制服の布地の上から高志の肩を抉った(えぐった)。
「うそっ、うそよ! ……だって、だって、殺しあうのがっ、殺しあうのが、プログラムじゃないっ。現実を見なよ、し、しのぶは、死んだっ。和田さんも死んだっ。……殺さないとっ、私たち家に帰れない! 私はあんたをっ、あんたは私をっ。そうだ、みんな、みんな、みんな! みんな、殺しあうんだ!」
 おさげ髪を振り乱し唾を飛ばす君枝を前にしても、高志の表情は変わらない。
「そっ、それにあんた私のこと嫌いなんでしょっ、今ここで殺せばいいじゃない!」
 最後は、ほとんど叫び声になっていた。

 思いをぶちまけぜいぜいと息を上げる君枝。
 その君枝の口元を手の平で抑え付けながら、「ばかっ、大声出すなよっ」高志が制した。
 そして、君枝の耳元で小声に囁く。
「ああ、嫌いだね。美智子さんのこと虐めるお前なんか、だいっ嫌いだ。けどさ、だからといってさ、殺すわきゃねーだろ。俺たち、クラスメイトなんだぞ」
 ごくり、君枝は震える喉に唾液を落とした。
「こ、怖くないの?」
「ああ……、怖いよ。いつまでこの気持ちでいられるか、わかんねーよ。もしかしたらこの先、お前を殺してでも生き残りたいと思うかもしれねーよ。けどさ、今はそんなこと考えちゃいない」
 君枝が聞いたのは君枝自身のことを恐れていないか、だったし、高志自身も君枝の質問の意図は理解しているように見えた。
 しかし、高志は質問をはぐらかし、己の弱さを見せた。
「今は、だ。く、悔しいけど、今は、だ」
 ぎりぎり、ぎりぎりと歯軋りをしながら、高志は言う。
「俺は、俺をこんな気持ちにさせるプログラムが、政府が、憎い」

「そ、それに、男は女を守るもんだ」
 高志が冗談めかした口調で言ったが、その口の端(くちのは)は歪み震えていた。
「なに、それ。あんた、いつの時代の人間よ」
 高志の肩を掴んでいた君枝の手の力が抜ける。
 その君枝の手をゆっくりと払い落とし高志は言った。
「俺、お前のこと、嫌いだけどさ。認めてはいるんだぞ」

「えっ」
 困惑する君枝を前に高志は言い進める。
「だって、お前、香川なんかには優しかった。守ってあげてたっ」
 高志はここまでしか言わなかった。言葉は足らず、大事なことは何一つ口に出していなかった。しかし、その意志はしっかりと君枝に流れ込んでいた。
 香川しのぶ(木田ミノルが殺害)。二年の時に重原早苗から金を巻き上げられていた彼女を守ったのは君枝だった。
 生谷は、たぶん、そのことを言ってる。
 そして、そのことで私のことを責めてもいる。
 君枝は思った。
 香川のことを守れる優しさがあるのに。なのに、なんで美智子さんのことを虐めたんだ?
 そう言いたいに違いない。
 ……そんなの。そんなの、私だって分からないよ。ただ、ただ、むかついたんだもん。ただ、それだけだもん。

 大人しくもともと友達の少なかったしのぶは、重原早苗に目をつけられたこともあって当時クラス内で徐々に孤立しつつあった。君枝は、そのしのぶに積極的に話し掛け、自分の仲間に引き入れたのだ。
 しのぶはそのことを深く感謝していたようだ。
 ジャケットの下の白いベスト、その胸ポケットに刺繍された小さなハートマーク。それは家庭科の得意なしのぶが、仲の良い女の子みんなの分を刺繍したものだった。
 いつだったか、君枝はしのぶに耳打ちされたことがある。
「あのね、君枝ちゃんのハートマークだけ、みんなのより高い糸を使ったんだ」
 そう言って穏やかに笑ったしのぶは、もうこの世にはいない。

 しのぶ、あんた、私が尾田美智子に手を出しているとき、悲しそうな目、してたね。一緒になってはやし立てるとき、ほんと、嫌そうな顔してたよね。
 でも、あんた、何も言わなかった。
 ううん。何も、言えなかった、のね。
 怖かった? あたしのこと、怖かった? だから、しのぶ、あんた、私のこと待っててくれなかったの?
 (実際には、しのぶは君枝のことを待とうとしたが、木田ミノルに殺され願いが叶わなかったことを彼女は知らない)
 プログラム。たった一人が生き残れる。その他のみんなは、死ぬ。
 なんで? なんで、こんな残酷なことが私たちに降りかかるの?


「ああ、痛ぇ」
 君枝に掴まれた肩を手の平でさすりながら、高志がわざとらしく顔をしかめた。一歩身を引き君枝との間隔を取る。
 高志の頬や手の甲には、君枝がナイフで切りつけてできた真新しい切り傷が見えた。
 しかし、君枝はそのことには触れず、「何よ、そっちだって私の顔を叩いたじゃ、ない」と言った。
 それが高志の望みのような気がしたから。
 争うことはやめよう、争ったことは忘れよう。
 そんな高志の意志はしっかりと伝わってきていたから。

 君枝は力ない笑みを浮かべた。
 昨晩以来の笑みだった。まだ恐怖に震えてはいるが、それは確かな笑みだった。どこか悲しげな笑みだった。

 分かったよ。あんたの言いたいことは分かった。
 でも、でもさ、私、美智子のことはやっぱり嫌いだ。
 何がむかつくって、彼女、自分が可愛いことを認めようとしないんだ。気がつかない振りをしているんだ。
 実際、悔しいけどあの子は可愛い。なら、それ相応の態度を取ればいいのに。でも、美智子は「私なんて」って態度を取る。そう言うところが最高にむかつくんだ。

 君枝は、高志の顔を見た。
 男のあんたには一生理解できないね、この気持ちは。男はさ、外見以外でも色んなことで勝負できる。スポーツだとか、勉強だとか。でもさ、女はダメなんだ。とくに私らみたいなお化粧が許されない世代は。持って生まれたカードだけで勝負しなければいけない世代はさ。
 女はなんだかんだで顔なんだ。
 だから、美智子は、いいカードを引いて生まれたのに有効に使おうとしない美智子は、むかつくんだ。
 ……分からない。男にはこんな気持ちわからないよ。

 いささか極端な君枝の考えだったが、この思いを高志にぶつけるほどの余力は彼女には残っていなかったし、また、その気もなかった。


「お前、越智だとか都を探しているんだろ?」
 高志が、君枝の友人の越智柚香(飯島エリらと北の集落へ向う)や高志らとも仲がいい津山都の名前を挙げた。
「あんたは……、野崎とか?」
 高志の幼なじみである野崎一也の名を返す。
「ああ、なんとかして合流したいと思ってる」
 ここで、ふと疑問に思ったことを口に出した。
「美智子は? 尾田美智子のことは探していないの?」
 というか、一緒に行動していたんじゃないの?
 男子2番である高志のすぐ後が女子3番、尾田美智子の出順だ。てっきり合流していたと思っていたのに。
 この君枝の質問に高志は沈黙を返してきた。
 その表情は、暗く、君枝はなんとなくだが事実を察した。
 待ったけど……、逃げられたのかな(事実、そうだった)。
 ほら、そういうところがむかつくんだよ。お姫様はお姫様らしくナイトに守られてろってんだ。


 と、ぱぱぱぱぱっ。
 銃声にしては軽い連続音が響くと同時に、君枝の下半身に鈍い痛みが走った。

 

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バトル×2
佐藤君枝 体育会女子の中心。尾田美智子につらく当たっていた。